アセンションの時代

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最強のチャレンジャー

私もはじめの頃に、ある意味で思い違いをしていた事を書いておきたいと思います。
 
どちらに捉えても間違いではないのですが、より本質的であり今の時代に相応しい解釈の仕方だと思います。
 
ストレートに書きます。
 
「私達は高次元の存在との比較において、劣った存在であるのでしょうか?」
 
事実として、地球上の人間の波動は、より高次元の存在達の波動との比較においては、低く荒いものであるようです。
 
そういう視点から捉えれば、私達は愛から離れた、ある意味においては劣った存在であると言えます。
 
唯一である存在の中心から、遠く離れたところにポツンポツンと存在しているのが私達です。
 
かなりの人達はそうした見方を持っているように感じます。
 
しかし、それは「唯一の見方ではありません」。
 
逆の方向から見ることも出来るのです。そして、その見方こそが、今の私達に相応しい味方なのです。
 
この世界、あらゆる次元をも包み込む全ての存在は、もとをたどれば「唯一である存在」に辿り着きます。
 
私達はこうして個性を持って分離して存在しているように見えますが、その存在の根本においては誰もが、何もが全てその唯一へと繋がっているのです。
 
つまり、私達は神(の一部)であり、その雛形を内に秘めているのです。大きな巨木の雛形が、小さな種の中に秘められているように。
 
私達、存在する全ては、みんな同じ雛形・可能性を秘めているのです。
 
私にもあなたにもバシャール(エササニという惑星の高次元存在)にも、まったく同じ可能性の本質が秘められているのです。なぜなら、本質をたどればたどるほどに「唯一である存在」へと遡っていき、最終的にはそこへと繋がっているのです。
 
私達はまったく同じ存在なのです。
 
その、最高波動の存在が、様々な形で波動を下げて、分離してあらゆる形で自分を体験して知る旅へと出かけたのです。
 
解りますよね。その中心へ近いほど、波動をあまり下げないほど、言い方が難しいですがここでのテーマを際立たせるために表現するのであれば、簡単で楽なんですね。
 
波動を下げれば下げるほど、中心から遠ざかれば遠ざかるほどに、その挑戦は困難を伴うんですね。
 
そういう意味において、最難関の冒険のひとつとして地球という環境が設定されたのです。
 
魂・肉体という低い波動の身をまとって、最大のアドベンチャーに挑むのは、最強のチャレンジャーとして選ばれた命達だけの特権なんですね。(生命それ自体が例外なく最強のチャレンジャーであるのですが)
 
だから、私達が劣った存在であるというのは、本質的には正しくないんですね。
 
私達は最大のアドベンチャーに挑んでいる、最強のチャレンジャーなんですね。それが正解なんです。