アセンションの時代

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現在、日常的に生まれるストレスの正体

現在は、アセンションにおいてとても重要な過渡期を迎えている訳ですが、「日常的な視点」からそれをより前向きに乗り越えていくためのポイントとして力説されている部分を整理して見たいと思います。
 
私達はこれまで、自覚するとしないとに関わらず、分離的なシステムのコントロール下に置かれてきました。
 
【資本主義】
資本主義とは、資本力の大きい人間が経済を支配していくという経済システムです。そして、利益は資本を提供した株主の元へ向かって流れていきます。
(「私も株を持っているから配当金をもらったよ♪」。それは、支配という大きな歯車をスムーズにまわすために作られている「あそび」と呼ばれる小さな隙間なんですね。そういう隙間に誤魔化されて、巨大な支配的歯車がこれまでまわってきたのです。)
 
上記の資本主義を地球規模へ拡大化し、支配体制の完成形を目指す動きです。
グローバル化すれば国力のある(通貨の高い)国からは、産業が流出し空洞化により国力が衰え、途上国へと富が向かいます。これは、富める「国」(G7など)が進めてきた経済政策としては矛盾しています。しかし、富める国も途上国も、資本的に支配している富める「者」の政策としては理にかなっています。国という操り人形が力を持ちすぎることは、それをコントロールする支配者には不都合です。)
 
【市場主義】
市場では資金力こそが全てだと言えます。
(市場というのは富める者達の、草刈り場でしかないのです。時にはバブルなどをコントロールして、国力ごと奪い去ることも、歴史的には日常茶飯事です。)
 
※ 富める者達とは、1億円とか10億円とかの小金持ちのことではありません。軽く兆単位の資産を保有しコントロールしている、世界中でもごく一部の人達のことです。
 
「ほぼ全て」の社会・経済・政治的なシステムは、こうした支配体制から派生してきたシステムです。マスコミや事件・戦争も同様です。
 
従って、私達が「当たり前・常識」と考えてきた世界観は、こうした分離的システムを受け入れるために仕方なく受け入れてきたものであり、私達の思わぬ深さにまで浸透してしまっているのです。
 
今、私達の個人個人に起こっている事は、そうした分離的なシステムから生まれた各自の価値観を徹底的に洗い流して、新しい調和的な価値観へと向かいはじめるという事なのです。
 
分離システムは、「比較」を利用する事でコントロールされてきました。新しい製品・より高い目先の給料等をマスコミで煽り、徹底的に比較し、その比較競争に勝たなければならないかのような錯覚を起こさせるのです。そこでは優位に立つ方法は2つあります。自分が勝つこと、相手が負けることです。
 
試験でライバルが体調を崩して欠席したのをほくそ笑むという事は、まさに分離以外の何ものでもありません。
 
現在、そのように真理からかけ離れた価値観というのは徹底的に洗い流されていきます。
 
その際に生じるのが、精神的な痛みです。
 
今さら分離的価値観であるなどと言われても、現実にはすでにそれは私達の価値観なのです。だから、そこから切り離されることには、精神的な痛みが生じます。
 
「痛み」が生じるという事は、「真理からかけ離れている」というシグナルなんですね。
 
「そんなはずはない、これに痛みを感じなかったら人間ではなくて悪魔だ。」
 
そう言いたくなる例は多々あると思います。しかし、それでもなお、「痛みは真理からかけ離れているシグナル」なんです。
 
例えば、大切な人の死について等は、特にそう言いたくなるかも知れません。私は・・・・、私もそんなのは最悪だって言うでしょうけれどね。
 
それでもなお、真理からすればそれは痛みではないはずなのです。
 
つまり、私たちはこの分離封鎖された次元世界を全てとして浸かりきっているからそう思えてしまうのです。多次元的な視点から見れば、死とはこの次元からの卒業なのです。例えどんな死に方であっても。ただ、自殺は中退かも知れません。
 
卒業式では色々な思い出に涙することもあります。しかし、それは絶望と慟哭の涙ではありません。
 
私たちは精神的な痛みの原因を外に求めます。
「あいつがあんな事をするから。」
「あれが無いから。」
「世の中が理不尽だから。」
「他の人たちが間違っているから。」
「もっと自分が強かったなら。」
 
それは、結局は「比較」から生まれてくるんですね。分離的なシステムの産物なんです。意識しようとしまいと。
 
「状況は問題ではないんです。状態が問題なんです。」byバシャール
 
つまり、周りの状況になんやかんやとケチを付けて苦しむのは、真理からすれば的外れなんですね。
 
問題は、真理からかけ離れて、錯覚的な分離に固執しようとする自分の「状態」にあるんです。
 
自分のあり方に集中すれば、本当の意味での解決と進歩の道へと繋がっていくのです。
 
真理を信じて、そこへ向かっていく自然の流れに自分を委ねることです。誤ったこれまでの錯覚に固執しているときは、それは100%精神的な痛みとして現れます。