アセンションの時代

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感覚変化の「流れに従う」

今年の春から夏至までは、なぜか異常に山へ引かれていました。毎週のように、車で1時間ちょっとの所にある山へ出かけては日の出前から5時間くらいを、山の中を散策することや山上から山々を眺めることで過ごしてきました。
 
基本的には、そうした環境の中で「気」を感じる事が一番の目的になっていた訳です。
 
しかし、夏至を過ぎたとたんにピタッと山へ引かれる気持ちが消え去りました。まあ、単純に「暑くなった」からというのが一番の理由かも知れませんが、気を感じるのに挑戦的な空間が、山から海へと変わった事も大きな理由です。
 
最初は木々に囲まれた空間。次に山間の空間の気から、山上から山麓に広がる空間へと空間が拡大してきて、それが空へ広がる空間へと拡大してきました。
 
そこまで広がると、わざわざ山の上まで出かけなくても、近所の海へ言った方が簡単で、水平線上を遮るものは何も無い訳ですからもってこいな訳なんですね。
 
さらには山の中と違って、暑い時期にも蚊やクモといった虫がいない。
 
そういう訳で、今では日の出・日没前後の海へ出かけていくわけですが、この春に山へ向かったようにどうにも行かずにはいられないといった気分は無いです。
 
これまでにも書いたように、山へ行っている頃迄は、「自分の中に気を取り込む」という事を約2年半続けて来たのですが、海に行くくらいになってからは気の領域において身体の内外の区別が無くなって、自分の内から外にまで広がる気の感覚の一体性を強め、挑戦的な感覚としてはその外へまで広がる気の感覚をコントロール出来ないかと考えています。
 
ただ、そのための積極的な感覚遊びはしていません。なんか身体が強い気に包まれていて、身体の感覚と気の感覚がせめぎ合っているような、気の感覚がフワッと強くなるときには軽い目まいのような感覚もあります。
 
そんな訳で、今は気の感覚で遊ぶと言うより身体を休めたい気分です。
 
その一方で、目を瞑った時に何か見えてきそうな感じが無くもないです。それは目を開けていて、空間に意識を集中するときに見えるものと同じで、いわゆる普通の視力で見ているものではないのですが・・・。
 
でも、これは微妙な感覚を言っているのであって、何かがハッキリと劇的に見えるという訳ではありません。何も見えない訳では無いのですが、何かが見えると言えるほどには見えてないです。
 
結局、見えてないってか?(笑)
 
まあ、そんな程度です。でも、気の感覚についてはかなりの強さです。ただ、ほらほらって人に見せられるような芸はあいかわらず何もありません。
 
つまり・・・・、自己満足の世界の話し?ですね。
 
でも大切ですよね。自己満足って。(笑)