アセンションの時代

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誰もが最高の存在

気の感覚がさらに強まっています。
 
先の事を心配することが無くなっています。言ってしまえば、期待することも無くなっています。先の事は「今この瞬間」とは関係ない事ですから、わき見運転をすることが無くなってきたという事でしょうか。(笑)
 
ただしそれは、「今のややこしい環境を捨てて、気ままな世界一周の旅に出る」という訳ではありませんが、一見ややこしいこの環境を冒険していくことが、結構楽しいんですよね。地味~に。(笑)
 
この次元の、この世界の仕組みがあまりにも芸術的で、ゆっくりではあるけれどこの止まることない感覚の拡大があまりにも美しくて・・・・・。
 
な~んて、常に感じながら生きられたら最高でしょうが(笑)。それでも、時々マジメにそんな事を感じる事があります。
 
でも、普通にそう感じるのですが、いまこの次元世界にこうして存在している経験というのは、凄く個性的なストーリーとシステムによって構築されている芸術的な経験だと感じるんですね。
 
例えばそれは、私達があまりにも「当たり前」だと感じているシステムがいかに芸術的であるかを知れば、羨望のため息をつかずにはいられないと思うんです。
 
例えば、物が見える視覚とはどういう仕組みによってなりたっているのか、音が聞こえる聴覚は、物質とは、エネルギーとは、次元とは、肉体とは、時間とは・・・・・。それらの驚異を総括したこの世界とは。あり得ないんですね。
 
しかし、あり得ないことがあり得ているんですね。その証拠が自己の「存在」です。
 
そういう世界にあって存在していて、「比較」って何か意味があるんだろうか?って思うんですね。
 
例えば既に高次元の存在との回線を開いている人々がいます。あるいは、私のように何らかの感覚を感じながらも、異次元に繋がる視覚や聴覚は開かれていない人々がいます。また、興味を持ちながらも、まだ今のところは特に新しい感覚は感じ取っていない人々もいます。
 
私達は、これまでの世界では反射的に「比較」することに慣れてしまっているのかも知れません。
 
感じるものが進んでいるほど良く、遅い程まぁ、あまり良くないと言うか。
 
もしかしたら、そういう感覚を持たれている人がまだいるかも知れません。それに対して、私は過去にも何度も書いて来たことを、また繰り返し書きたいと思いますが、もし比較することによりそうした思いを抱いている人がいるのなら、その「比較」こそがちょっと遅れているというか、次元的にやや低い発想だと思うのです。
 
例えば、上記の例に当てはまる3人、順にA・B・Cさんがいるとします。
 
Aさんが一番優秀で、Bさんが二番、Cさんが三番だと勘違いしている人が、まだいるかも知れません。
 
しかし、これは古い次元の発想なんですね。
 
実際には、AさんもBさんもCさんも、優劣における差は無いんですね。
 
これまでの次元世界。つまり、生まれて死ぬまでが存在の全てだと錯覚するからこそ、そこに比較が生まれるのです。
 
そうではなくて、実は私達は一なる存在の一部として、それぞれ選択した多次元を通って、学びと経験のために今の自分という環境を選択して存在しているんですね。つまり、AさんBさんCさんの違いは「優劣」の違いではなく、「選択」の違いなんですね。
 
誰もが、今この瞬間に存在している自分という環境を「選択」して、存在しているんです。
 
それは「優劣」ではありませんよね。単なる「選択」の違いなんです。そして、多次元的な世界から判断されたその「選択」には優劣はもちろん、間違いもありません。
 
つまり、誰もが自分にとって最高の環境に存在しているのです。それを「優劣」で比較するなんて。なんて無駄(私達の立ち位置から見て、光と反対の方向)なことなのでしょうか。
 
興味があるけれどまだ何も感じていないというのは、その人にとって「最高の環境」なんですね。さっさと感じて進んでいく人よりも、もっとジックリと濃密に感じる事を「選択」した魂を持った人達なんですね。
 
だから、その人達こそが優秀なのだ・・・・とは言いません。(笑)
もう、比較の罠には引っかからないですよね。
 
そうした比較こそが無意味なんですね。誰もがみんな最高の存在環境にいる。ただそれだけなんですね。それ以上も以下も無いのだと思います。
 
だからこそ「今という瞬間」が、どれ程に尊く価値のあるものかということが言えるのだと思います。例え、どんなにくだらなく詰まらなそうな毎日でも。・・・・というか、理解が深まれば「くだらなくつまらない」事なんて存在しないんでしょうが。
 
ちなみに私は、結構つまらない日々もおくったりしています。すみません。(笑)
 
 
PS : tunakoさんからナイスなコメントを頂きまして、ちょっと記事を追加させてもらいます。記事の中で「比較」を良くないように書きましたが、正確には「優劣判断を伴う比較」です。全ての次元世界は相対的に成り立っています。相対とはつまり比較です。比較が無ければ、何も経験できなくなってしまいます。そういう意味で、私の真意を確認させて頂くと、私達が卒業すべきは「比較」ではなく、「優劣判断」と言う事です。