アセンションの時代

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「自分の中の」自分を感じる

感覚的な変化のペースが、以前よりかなり速まってきています。
 
いわゆる「気」あるいは「エーテル」的な感覚が中心になるわけですが、それとは異なるのか根本は同じなのかはよく解らないのですが、主には昨日から異空間が感じられるようになってきた気がします。
 
これまでも、肉体という枠の外側に感覚が広がってきていました。例えば気の感覚は手のひらの上や、頭上、首の根元の裏側等から身体の外に広がり、上半身あるいは全身を包み込むような空間に感じられるようになってきていました。
 
さらにはそうした空間の気の中で、頭上には1つのチャクラを感じることが出来るようにもなっていました。多分。(笑)
 
そうした感覚の延長かもしれませんし、少し違うのかも知れません。性格には違う感覚だけれど、無関係ではないと言うのが可能性として高い気がします。
 
気を感じようと意識を集中すると、それを「圧力」的な感覚として感じるのです。しかし、自分の中ではこの感覚にOKサインが出ないんですね。これはよりベターな感覚ではないと感じていたのです。
 
「圧力」という感覚はある意味において、不自然な感覚なんですね。少なくとも自分の中では。もっと、リラックスして開放的でありながら、かつ圧倒的な存在感を感じる・・・というのが理想なんです。
 
「圧力」的な感覚は強く、今や堂々と五感に並ぶ第六感としての位置づけを得ているものの、ちょっと違うんですね。そもそもが第六感という位置づけ自体が間違いだとも思えるのです。
 
この感覚はまだ種から芽吹いたところであり、つぼみにも花にもなっていない状態だという思いが強くあったんです。
 
そういう思いと、それにマッチするような感覚の浸透(強い圧力の減少(浸透))があったりして、「気」を感じようとする事をあまりしなくなっていたんですね。そういう気分にならなかったのです。
 
そして、代わりに「異空間」や「光」をセットでイメージするようになってきていたんです。昔から目を瞑って暗闇に意識を集中すると「藍色の揺らめき」が見えるんですね。
 
それをイメージの中で光として感じて、密度を上げるようなイメージを持ってみたのですが、これがうまく異空間中の光の集中としてイメージできるようになってきたんです。
 
そうすると、その光の集合から身体としての自分を感じるような感覚があるんですね。
 
身体としての自分から、光の集合体としての自分を感じるのと違うんですね。逆なんです。
 
そんなにハッキリくっきりとわかるとかではないんですが、何となくそう感じるんですね。
 
気のせいかも知れませんし、新しい感覚の始まりのひとつかも知れません。現時点ではどちらかは判りませんし、強引にどちらだと答えを出す必要もないと思っています。
 
少し待てば、どちらかは判ると思うんですね。
 
期待感はありますけれどね。それを強引につくりだす必要はないですよね。成すべきことをなしていれば、結果はついてきますよ。形はどうであれ。
 
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