アセンションの時代

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ライトワーカー

ライトワーカーと呼ばれる人たちがいるのだと言われています。
 
幅広い意味において言うのであれば、ライトワーカーというのは光(調和)を広めるために活動する人たちのことであり、誰もが調和を求めて活動すればライトワーカーという事が出来るのだとも考えられます。
 
しかし、今日はもう少し限定的な意味でのいわゆる「ライトワーカー」について書いてみたいと思います。
 
まず広い意味においてのライトワーカーとの決定的な違いは、ライトワーカーに「なる」のではなくて、「生まれてくる」という事が言えると思います。
 
それは、魂のレベルでの契約として、ライトワーカーとしての役割を果たすためにこの次元世界に生まれてきているという事です。
 
そういう人たちがいるんですね。ありがたい事です。
 
さらには、ライトワーカーはチームとして活動するようなんですね。それは、私たちはライトワーカーですと特定の集団になって動くという意味ではなくて、他の人々や他のライトワーカーと連携し合って調和を広めていくというイメージだと思います。
 
それはハブとしての位置づけになると思います。自転車のタイヤを頭に思い浮かべると、黒いゴムのタイヤ部分から中心に向かって細いスポークがはしり、それが中心のハブに集約されていきます。
 
つまり、ハブとしての役割とは、集団や物事の中心となり人々を取りまとめるというような所にあると思います。
 
仙人のように世間から離れて、自らの内を探求するなかで次元上昇するというのは、今の時期に現れているライトワーカーとは異なるんですね。
 
こういう話になると、人間の性と言いますか染みついたものとして、それじゃぁライトワーカーは偉いのか?となりやすいと思うのですが、それは別にそうだという訳でもないと思うんですね。
 
確かに重要な役割をになってはいるのですが、偉いとか偉くないとかという発想がそもそも的外れだと思うんですね。
 
頭と手と足のなかでどこが偉いのか?目と耳と口とでどこが一番偉いのか?ライトワーカーと、調和を選択する人々と、分離を選択する人々と誰が一番偉いのか?
 
偉い偉くないという発想には意味が無いんですね。分離を選択する人々についてもそれは同じなんです。
 
だからライトワーカーじゃないから出来が悪いだとか、そういう問題ではないんですね。比べることには意味が無いという事です。
 
大切なのは自らの「意識」がどうあるかという事なんですね。つまり、「経験」です。その各自の経験を、より波動の高い経験へと導いてくれる。それが、ライトワーカーなんですね。
 
さっさと出てこいよ。って感じですが。(笑)
 
そういう意識を持って探せば、もう至るところでそういう活動を始めているわけですけれどね。それを、そういう視点で見ているかどうかと言うこと。そして、今後ますますそういう人々が表面化してくるんでしょうね。楽しみです。
 
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