アセンションの時代

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現実と夢の「はざま」

最近、夜中の2時半頃によく目が覚めます。
 
それもやや困ったことにパッチリと快適に目が覚めてしまうんですね。(笑)
 
かといって、起きて読書などするような気分にもならず、布団の中で寝転がっているのですが、何せ快適にパッチリと目覚めてしまっているのでなかなか寝られないんですね。
 
そこで仕方なく、「気の感覚遊び」をするのです。
 
気の感覚を拡大してその中に入り込んでしまおうとしてみたり、異なる次元に意識の焦点を合わせて、異次元をのぞいてみようとしたりといった感じで。
 
突拍子も無くそれを試してみると言うのでは無くて、もともとそうしたカケラを経験しており、それをより拡大してみようと試してみるんですね。
 
多少進歩してるかな?どうかな?といった感じでパッとしませんが、少しずつは新しい可能性が指先にかするような感じもあります。
 
まず、異次元を見るということについては、もともと目をつむっていると何か物が見えることがあるので、それをもっとスケールアップ出来ないかと思っているのです。
 
最近はそうした試みをしていると、何かが一瞬ピカッと光ることがあります。はじめの頃は外からの強い光が何か部屋に入ったのかと思ったりもしたのですが、キチンと考えてみれば部屋の環境的にそれはありえないんですね。
 
目をつむった視界の端の方でピカッと光ることがあるのです。それから、視界全体が明るくなったこともあります。明るさはハッキリと確認して感じましたが、そこに何か壁のような板のようなものが写っているのをよく確認しようとしたら何も見えなくなってしまいました。
 
そうした「見る」ということについて、少し気がついたことがあります。
 
狭い視野で見ているときは両目あるいは額の前方辺りで見ているのですが、開けて全体で感じるときにはそれより手前の脳の辺りで見ているような感じがあります。
 
開けて感じているときには脳で見ていて、それをよく見ようとすると意識が額の方へ写るので、それで見えなくなってしまうようだと昨夜感じました。額の前に意識を移したために、脳の周辺に浮かび上がっていた映像が消えていくのを感じたんですね。
 
はじめから狭い視野で額で見ているときには、見ようと意識するとよく見えるんですね。
 
額で見るのは穴から除いているような狭い視野で、脳で見るのは普通に広い視野で周囲を感じるのです。
 
額で見えるのは特定の物で、脳で見るのは風景ということもできるかも知れません。
 
これからは脳で感じる感覚も意識してみようと思います。
 
また、気の感覚に入り込むというのは、体内の気と周囲の気を一体化させるのです。
 
これは、最近では普通に昼間の状態でもある程度簡単に感じられるんですね。それをより深く感じてみようといった感じです。
 
昨夜は、全身の感覚が周囲の気と一体化してその中に入り込み浮遊している感覚がありました。浮遊しているけれど、上下の感覚は失わずに前後左右を把握した状態で気の海をフワーッと大きくゆっくりと回転している感じでした。
 
そこへ入り込んだと判ったときに、「ああ、やっと今回は逃げずに入り込めたぞ。」という満足感が広がりました。
 
感覚としては異なるのですが、二十歳の頃に幽体離脱をしかけて怖くて目を開けて離脱から逃げた事があったんですね。あのまま目を開けなかったらどうなっていただろうかと思うことが時々あったんですね。
 
今回も前触れのような感覚としてしびれのような感覚が、その時ほどでは無いですが軽くありそれによってその時のことを思い出したんだと思います。
 
ただ、気の感覚遊びとしての記憶はそこまでで、そこから先は夢の世界です。
 
ただ、そうなると本当にそこまでは夢では無かったのかという思いも出てくるのですが、これまで実際に何度も感じている経験を、いつもより少しだけ先に進んだ感じで、多分夢では無いのだろうと思っています。
 
少し前に「夢がリアル」になってきていると書きましたが、その後は「夢が非リアル」に戻っており、昨日は「夢のような現実」を感じており、夢と現実のはざまをフラフラしているのかも知れませんね。
 
なんか、こういう記事を書いていると、「いい年して何を考えてるやら」と苦笑いしたくなる自分もいたりして、色々な意味で足場を失っているような状態にあるようですね。
 
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