エネルギー感覚と思考
エネルギー的にかなり強い状態が続いているようです。これは、12月22日(日)の冬至まで続き、今年後半をかけて続いてきたエネルギー変化の過程が、取りあえずの一段落となるようです。
自分の中では、チャクラのエネルギーポイントを拡大するような、チャクラ同士を連結させて、1つの大きなポータルで自分を包み込むような意識で、エネルギー感覚を遊んでいます。
最近では、頭部から胸部にかけてを中心とした強いエネルギーの塊が肉体に重なって存在しています。
以前では、瞑想等で気を高めてようやく感じるかどうかというくらいの気の感覚以上の感覚が、常にとは言えませんが、意識を向けさえすればほぼ常に感じられます。
一番強いのは眉間あたりの頭部で、そこから胸部へはすぐに繋がります。
そして、胸部から下腹部の方へとエネルギーを下げていくと、背骨の一番下にある仙骨の辺りから細かく繊細な痺れが広がってきます。
そうした感覚の中に常に浸っている事が出来ないかなぁとも思うのですが、軽くでも意識を向ければ感じられるので、まあこんなところなのかなぁとも思っています。
昨日の記事だったかにも書いたのですが、こうしたエネルギー感覚と感情、特に不安等のネガティブな感情との関連性が強く感じられるようになってきました。
エネルギーを感じている間は、基本的に不安がよくわかりません。
何が不安だったのかがよくわからなくなってしまいます。(笑)
それで、何が不安だったのかを思い出すために「思考」をフル回転させて、ああでこうでだから不安だろうって思い出すんですね。
だけど、だからと言って「じゃあ、どうしたらいいんだ?」って思考「だけ」に任せてみても、結局はハッピーなシナリオを描き出せないんですね。妥協や体裁を整える程度の、誤魔化しの人生しか提案してくれないんですね。
そこで、思考を休ませて、エネルギー感覚「だけ」に任せるんですね。しかし、これはこれでまた問題があるんですね。「そんな提案じゃ、この次元世界では実現性が無いだろう。」という感じなんですね。
そこで思考とエネルギー感覚が妥協点を探して調和を始めるんですね。
そうすると、「まあ取りあえずそれで行ってみようか」という人生の方向性が目の前に伸びているんですね。
しかし、その道が存在していると言うことは、これまでの色々な経験があったからこその道な訳なんですね。
そうすると、こう思えたりもするんです。
「お前ら、俺をここに立たせるために長いことかけてハメテきたな!」って。(笑)
確かに私はハメられたんですね。他でも無い、自分自身に。(笑)
PS: 最近は、日常でもブログでも表現の仕方が難しくなってきています。どう表現したらオカルトだと切り捨てられずにその可能性に興味を持ち全体に広がっていくだろうかと。基本的に日常ではエネルギー的なことは一切口には出来ません。ブログでは、まあ読まれる方の判断に任せれば、そのままに書いておけばいいかと思っています。3年くらい前までであれば、私は今日の自分の記事をスルーしたと思います。(笑)