アセンションの時代

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「3次元と夢」の間

朝、目覚めてまどろんでいるような状態のときや、瞑想したり意識を内へと向かわせた状態の時に、夢のような形にはなら無いのですが、3次元とも異なるエネルギー状態の自分を感じます。
 
特別に瞑想状態が深まった時でなくても、軽く意識を向けただけでそうした感覚は感じられます。ハッキリとした光は感じずに、自分が拡大したエネルギーの軽いスライムのような状態を感じます。
 
瞑想状態が深まると、光を感じたりし始めてそちらに意識が向かい、何か映像のような動きを感じることがあります。例外的な少なさでは、ハッキリと何かが見えることがあります。
 
これまでもっとも衝撃的にハッキリと見えたものは、20年くらい前に格子状を基調とした黄金の模様が見えたことです。3次元の視覚以上にリアルに見えて、その1回は他の時と比べても特別な衝撃がありました。
 
他の時はただ、「これは夢のカケラかな?何で見えるんだろう?」という感じで、あまり驚きは感じません。
 
こうした事は20年前の二十歳の頃に一度集中的にありました。その頃は頭痛も多く、度を越えた体のだるさでゴロゴロしていることも多く、もしかしたら病気ではないかと本気で心配したほどでした。
 
そして、不思議なことにその頃、なぜか山の中をよく散策していました。今と同じように。
 
目を瞑っていて何かが見えると言うのは、安定したものでもなくハッキリと見えることも例外的であるために、特に進歩しているとは感じないのですが、拡大したスライム状のエネルギー感覚は、確実に定着した新しい感覚への進歩だと感じています。
 
それは、特別なことではなく、既に普通のこととして意識を向ければすぐに感じられるからです。
 
その位置づけとして私がいま思ったのは、3次元の焦点を溶かしてエネルギー上に焦点を移し、更に移すと夢の次元に焦点が移るのかも知れないと思いました。特に確信はありませんが。
 
ただ、それは4次元とは異なると思います。夢はあくまでも夢であり、4次元世界と言うものとは異なると思います。
 
ひふみ神示の中に、感覚的に夢(だったか?異次元だったか?)と現実が混在し始めるような事が書かれていたと思うのですが、確かに今感じているエネルギー感覚と言うのは3次元の感覚ではなく、しかし、微かではないレベルで強く日常で感じられていることが多いので面白いです。
 
今のようになってくると、今度は逆にこれまでがどういう感覚であったのかと言うのがあいまいになってきます。それは3次元世界を捉える漠然とした総合的な感覚であったり、さらには物事の見方や考え方が、これまでどうであったのか良くわからなくなってくるんです。
 
例えば、世界には3次元しか存在せず、死んだら無であり、地球外生命体など存在しないという「世界観」が感覚としてどういうものであったのかがよく掴めなくなっている自分にふと気づいたりします。
 
かといって、私はずっとこの日常に居るわけですから、そんな大げさな話ではないのですが、時々、常識的な会話をしている中で、人との考え方の違いに内心でコッソリと驚いたりすることがあります。
 
でも、自分も以前はそうだったと思うのですが、それがうまく思い出せないんですね。(笑)
 
それにしても、この感覚世界の先に何が待っているのかとても楽しみです。
 
これまでは、アセンションと言うのは「頭の中」だけの話しでしたが、今や「感覚の中」にまで広がってきています。進み方には人の数だけ道があり、比較評価には何の前向きな意味もありませんが、色々な意見を参考にしながら「自分の道」を前へと進み続ければ、確実に面白い世界がまっていそうですよね。
 
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