アセンションの時代

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何を信じるのか

チャネリング情報(調和系)が伝える私達の世界の仕組みというのは、私達がこれまで信じてきた世界観とは大きく異なる世界像です。
 
3次元が世界の全てではなく、真実の世界は多次元であり肉体の死後も私達の存在は永遠に続いていくと伝えています。
 
さらには、時間と言うものは存在せず、全ては一体的に存在しており私達は一なるもの(光・源・神等と表現される)の一側面(視点)であり、その神の性質をそのままに備えているとされています。
 
しかし、私達はそうした無限の視点の中でも特別に個性的な性質を持っており、神とは切り離されていないものの切り離されていると思い込み個々バラバラの分離の世界を体験してきたそうです。
 
これら様々な世界観は、トータルで1つの私達とは異なる世界観を作り上げています。
 
例えば、部分的な比較をすると、私達の世界観と高次元視点の世界観とではあれもこれもと多くの違いがあります。
 
しかし、それらを部分的に捉えて、これはどちらが正しいか?と1つ1つを比較検討するのは実はおかしなことなんですね。
 
それらの異なる2つの世界観は、部分部分がお互いを支持しあって1つの大きな世界観をトータルで生み出しているんですね。
 
従って、この部分は信じるけれど、この部分は信じないというのは、本質的におかしなことなんですね。それでは、トータルとしての世界観が崩壊してしまうはずです。
 
高次元視点からの世界観を検討するときは、解釈を深める上で部分的に色々と考えることはあっても、信じるか信じないかを部分部分についてそれぞれに検討すると言うのはおかしいと思うんですね。
 
そういう前提に立って、高次元視点の世界観を理解しようとすれば、パラレルワールド・一なるもの・時間は存在しない・ハイアーセルフ・宇宙人・UFO・多次元・魂等々を総合的に理解しなければならないと思います。
 
ハッキリと言ってしまえば、部分部分の細かなことを3次元に限定された人間の限られた知識で理解しようとしてその限定された知識で矛盾をあげつらっても、理解できるはずがないんですね。
 
理解できないこともあるという前提条件を忘れてはならないと思います。
 
私達が持ってきた世界観の中にも「理解できない謎」が山ほどあるんですね。そうした謎は謎として受け入れながら、高次元的世界観における謎(理解できないところ)は受け入れずに「それみろ、ウソだ。バカバカしい。」というのはどうなんでしょうか?
 
高次元的な世界観を理解しようとするときは、1つ1つを突き詰めて完璧に理解しようとするよりも、それがいわんとしている世界観をおさえて、その他の多くのものとの全体的な大きな枠組みの中で理解していくことが良いのではないかと思います。
 
私はそうした世界観について、信じるに値すると思っていますし、その情報源のスピリチュアル的な質の高さについては、全面的に信頼を置いて受け入れています。
 
明らかに私達が信じてきた人生観より、格段に高い精神性を持っていると確信しています。
 
私は子供の頃からよく、「こんな人生観を生き抜いて何の価値がある?」と消化されない強い欲求不満を感じてきました。
 
しかし、今ではよく思うんですね。高次元から示されているこうした人生観を信じて、例えそれでバカを見て玉砕したとしても、3次元的な人生観を無難に生き抜くよりは、自分としては遥かに価値のある人生を体験できるだろうなと。
 
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