アセンションの時代

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大丈夫ですよ。今の経済は崩壊しますから。(笑)

今日も昼から森林浴に出かけてきました。木々の中を1人であるいていると、自然と意識が向かうのが、昔からどういう訳か「空間」なんですね。
 
私の好きでよく行く場所として「鳳来寺山」や「熱田神宮」があるのですが、なぜ好きかといえば「奥行きを感じられる場所」だからです。つまり、空間を実感しやすいんです。
 
空間には光が満ちており、光は時間を持っていない。ということは、肉体と目に見える世界との境界に存在するのが光でありそのエネルギー密度が空間を錯覚させている?
 
とか思ってみたり、なんだそりゃ?と自分で突っ込んでみたり。感覚がかなり拡大してきているので、肉体を超えた自己としての意識の置き所を探していて、今日はたまたまそんな考えが頭の中を巡っていました。(笑)
 
さて、そうした感覚的な事はなかなか文字には表現しにくいので、今日は昨日の続きで、なぜ「経済」が行き詰まったのかを整理してみたいと思います。
 
【地域経済が疲弊する訳】
 
昔は各地域には中心市街地などに商店街が立ち並び、また多くの職人さんによって地域の商工業が支えられていました。
 
地域の小規模商店で100万円の買い物をすれば、単純に例えれば5万円が税金として役場に徴収され、60万円がやはり地元小規模事業所へ仕入として支払われ、30万円が事業主の生活費としてやはり他の地元小規模事業所等で使われたわけです。
 
この時、100のお金は地元経済圏のなかでほぼ循環しており、多少の地域外への出入りはあるものの、バランスが取れたお金の流れが出来ていたのです。
 
しかし、大規模資本を盾に、そこへ大型店が乗り出してきました。
 
大型店で100万円の買い物をすれば、地域の従業員へ25万円、地域外の仕入れ先へ50万円、さらに地域外の本社等で働く人々の給料や株主への配当としてさらに支払が必要とされるわけです。
 
大半のお金が地域の経済圏から流出していってしまうわけです。
 
大企業の工場などがある地域では、税金や従業員給料として地域外からの流入があるのですが、それは少ない特定の地域の話しであり、今では赤字で税金もたいして出ず、従業員も給与カットやリストラで、逆に地域を疲弊させる側になっている例も多いはずです。
 
こうした流れは、昔から徐々に進んでいたと思うのですが、国民に大人気の首相が大規模規制緩和を推し進めた結果として加速したのではないかと思っています。詳しくは知りませんが。
 
しかし、それも過ぎ去りつつある話しで、今やネットショッピングの時代です。
 
ネットショッピングで100万円の買い物をすれば、地域経済圏から単純に100万円が流出し、地域経済はしおれていくばかりです。
 
現在行われているアベノミクスと言われる異次元金融緩和は、経済活性化のため(それと国の借金を支えるため)に日銀にお金をばらまかせているのですが、実体経済がこの様な状態で疲弊しているので、投資資金として金融市場のマネーゲームにまわされるばかりで、私たちの給料が上がるとか景気が良くなるという方向にはいっこうに向かう気配がありません。
 
マスコミを使って強引に好景気を演出しようとしていますが、現実との乖離が甚だしいです。
 
現在のお金の流れは、地域(庶民)から都会(経営者)へ、都会(経営者)から世界(株主)へ。という一方通行の流れを続けており、いうまでもなく継続不能の仕組みです。
 
そして、この劣悪な金融と経済のシステムは、セットでもうすぐ崩壊します。
 
そして、「地産地消」をベースとした、循環型の経済システムへと向かうことになると思います。
 
それは「昔に戻るという事ではない」です。進化して昔の良いところ、これまでの良いところ、これからの理想を融合させて、新しいシステムの模索が始まるという事です。
 
何でもそうですが、出来上がったものを眺めて楽しむのは良いものです。
 
しかし、それを創り上げていく過程は、もっとやり甲斐のある事です。
 
これからの時代を楽しめることに感謝したいですね。その時代はもう、表面下では始まっていますよ。(笑)
 
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