アセンションの時代

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パラダイムシフト(2)

要領の悪い人がいるとします。見かねて、それはこうした方がうまくいくと思うよとアドバイスをします。しかし、表現を工夫して何度アドバイスをしてみても、こちらの意図が伝わりません。あるいは伝わっても、なお自分の考え方の方が効率的だと信じて、同じ失敗をいつまでも繰り返しているのです。
 
こういう時というのは、とてももどかしいものです。
 
しかし、実は自分も同じように要領の悪い存在だったと気づいた時。そんな時、気分はとても複雑です。
 
3次元的な生き方、つまり人間の生き方というのは、高次元の存在たちにしてみれば、ある意味で理解不能であり何度アドバイスをして見ても、その意図が思うように伝わらず、とてももどかしいものなんですね。
 
私達は、意図を持って人生を歩もうと決めたとき、物理現象的に目標までの行程を組み、スケジュールを立てます。
 
そして、物理現象的に一生懸命に努力をして働きかけ、そして結果を自ら作り出していくものだと信じてきました。
 
しかし、実はそうではなかったのではないかと、思い始めています。
 
これは、前回のパラダイムシフトの記事の続きにもなる訳ですが、古いパラダイムでは、上に書いたように物理的に努力し働きかけることで現実を自ら作り上げていくのが人生であると思われてきました。
 
しかしそれは、そうした人生の過程を経て自らが求めた存在に相応しい存在になった結果として、物理現象的な現実が引き寄せられてきたのではないかと思うのです。
 
うまく伝えられていないかも知れませんが、私が言いたいのは、「努力による物理的働きかけ」が結果を生んだのではなくて、「自分がそうなった」事によって結果が引き寄せられてきたのではないかと思えてきています。
 
もちろん、一流の野球選手になりたいと、「野球」という物理的に限定された条件をつけるのなら、野球と言う極めて限定された物理的条件の中から現実を引き寄せないといけないので、それは簡単な話しではないでしょう。
 
しかし、一流の存在になりたいというのであれば、自らがそうあれば、特別に努力や訓練というものに頼らなくても、何らかの形をとって一流の立場と言うものが引き寄せられてくるのではないかと思うのです。
 
チャネリングでは、あまり「人間の限られたマインドで、可能性を限定してしまわないように」とよく伝えられています。
 
私達は目標を立てたりするときには、極めて細かく具体的にその行程を計画します。
 
しかし、それこそが「可能性を狭める」結果になってしまっていると言うのです。
 
私達は自分がどうありたいのかについては、強い願望と目的意識を持つ必要がありますが、それが日常でどう表現されるかについては、あまり具体的に細かく可能性を限定しないことが重要であるようです。
 
自らがどういう存在であるのかを決定しそうある事によって、それを表現する色々な物理的日常の現象が引き寄せられてきます。それを無理やりに作り出し引っ張ってくることはないのです。ただ、引き寄せられてくるままに委ね、そこで自らのあるがままを表現していけば良いのです。
 
そうして、結果は自ずとつくりあげられて行くのです。
 
私達は自分がどういう存在であるのかを決める決定権を持っています。それは、絶対的な力です。
 
しかし、これまで私達は、自分が何者であるかを決めるのは、地位や名誉やお金・肩書き・財産等だと思ってきました。いや、そんなことは無いと思いながらも、かなり深い所でそうした前提条件を受け入れてきた可能性が高いです。
 
私達は、自分が何者であるのかを、自分で決定すれば良いのです。そして、ただそうあれば良いのです。
 
とても簡単で単純な話なのです。
 
しかし、私達は自分にはそんな決定権は無い。それを決めるのは地位や名誉やお金・財産だと思い、そうした自分の外に存在する何らかにそれを決定してもらうために手を尽くしてきました。
 
そうした人間達を見ている高次元の存在たちのじれったさが良くわかります。
 
自分達は何でそんな人間を演じてきたんだろう?
 
チャネリング情報の中でもそのへんの経緯については色々と解説されていますが、それでもなおそう感じずにはいられない。
 
まあ、人間のマインドと言う限界では、それも仕方の無いことだとは思いつつも。
 
でも、そのマインドを超越した多次元的意図においては、そこに素晴らしい意味があるのだと信じたいですね。
 
結局、「信じること」。それ以外に、私達に出来ることはないのだから。
 
(笑)
 
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