アセンションの時代

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唯一である存在

「自分」というのは、特別な存在なんですね。
 
自分の外には色々な人がいます。大金持ち・政治家・アイドル・国王等々。
 
しかし、彼らは彼らであり「私」ではないんです。彼らはみんな外の人であり、私の中に存在している唯一の存在は、「自分」のみなのです。
 
私が何者であるかを決定できる、唯一の存在が「自分」なんですね。
 
外の人たちが何と言おうと、それは「自分」にのみ与えられた力なんです。
 
ただ、それを放棄し、外の人たちにその力を手渡すことも出来ます。しかし、それを決めるのもやはり「自分」によるものでしかありえないのです。
 
世界は光であり、誰もが唯一自分だけのプリズムを持っています。
 
自分の道、自分のストーリーは、この底知れぬ広大な無限の光の存在の内にある唯一の物語なのです。
 
あなたが何者であるかを決定するのは、あなた以外にはあり得ないと思うのです。
 
私が何者であるかを決定するのは私であり、あなたが何者かを決定するのはあなたなのです。
 
その答えが自分の外からやってくることはありません。
 
ただ、ヒントや切っ掛け、その判断材料は外から次々にやってくるでしょう。
 
しかし、それが答えではありません。自分の中に眠っていた答えを、その材料が目覚めさせるきっかけにはなるかも知れません。
 
そして、全ての存在は平等であり、優劣など存在しないと思うのです。
 
3次元的な限定された世界に置いては、殺人は否定されるべきものであり、それ自体に間違いはないと思います。
 
しかし、多次元的な視点からの人生の意味と目的を考えるときは、必ずしもそうではないという事です。
 
もちろん、多次元的な視点からであっても、殺人と言うのは否定的な行為ではあるでしょうが、そうした多次元的視点からより重視されるのは、その行為自体にあるのではなく、その経験から何を学ぶかにあるのだと思うのです。
 
だから、すべての人生には同じだけの価値があり、その経験を通して学ぶことに意義があるのです。
 
一見すると、まるで進歩の無いような人生であっても、魂の視点からはより進歩するための大切な足踏みの経験なのです。
 
またあるいは、完全に後戻りしているかのような人生であっても、それはより大きく進歩するために欠かせない経験なのでしょう。
 
高くジャンプするためには、シッカリと低くかがむ必要があり、輪ゴムを遠くへ進めるためには、一度大きく反対側へと引っ張らなくてはならないように。
 
全ての人生と言う経験には、同じだけの重みがありそのどれもが唯一の経験であり、光を構成する唯一のプリズムなのです。
 
「間違える」という事はありえないんです。
 
3次元の限定された経験内においては、そういうこともあるでしょう。しかし、多次元的な視点からは全ては学びとなり進歩へと繋がるのです。
 
アセンション出来なかったらどうしよう・・・」
 
そんな心配は無意味なんですね。
 
アセンションすることが良い経験で、出来ないことが悪い経験ではないのです。全ては自分の「魂にとって」最良の結果へと流れてゆくのです。
 
まだ、学びが必要であるのなら、アセンションはしない方が良いという事もあるのです。
 
それもまたアセンションする魂と、同様に価値のある経験なのだと思います。
 
大切なのは自分らしくあること。それが、唯一である存在としての、私たちの唯一の道なんじゃないかなぁ。・・・てね。(笑)
 
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