アセンションの時代

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象徴としての「カギ」

例えば、ここに記事が書かれています。
 
この記事は、あなたが求めるものの象徴としてのカギなのです。
 
何もこの記事だけを特別なものだと言いたいのではありません。全てのものはその人の求める象徴としてのカギであり、たまたまいま読まれているこの記事を1つの例として書いたまでです。
 
それはどういう事なのか?
 
ここに書かれている記事(文字)自体には、何の意味もありません。
 
それは、パソコンの画面に映し出された、光の文字でありそれ以上でも以下でも無く、ただそれだけのものです。
 
しかし、単なるその文字を読むことによって、人々は様々な思いをかき立てられます。
 
「バカだなぁ」「おもしろいなぁ」「良く解らないなぁ」等々
 
人々はこの記事から、何かを感じます。しかし、それはそこに書かれた文字を感じているわけではないのです。
 
文字としての記事は、それぞれの人が求めているものを象徴するカギなのです。そのカギによって、私たちは自分の中に探しているものを浮き上がらせるのです。
 
そのカギは、その人の内に眠るその人自身を目覚めさせます。
 
それはエゴである側面かも知れませんし、未知なる自分かも知れません。好奇心かも知れません。
 
そして、その人の内に様々なエネルギーの波が起こるのです。
 
イライラ、ワクワク、ドキドキ。それはあなた自身の内に起こったエネルギーの波です。
 
文字は単なる文字であり、ワクワクもドキドキもしていませんし、イライラもしていません。
 
その文字は単なる文字ですが、それは象徴としてのカギなのです。自分を知るためのカギなのです。
 
人はそのカギによって、自分を体験するのです。
 
最初にも書きましたように、それはこの記事に限ったことではありません。全てがそうなのです。文字、物、出来事。全てにはじめから備わった意味などは無いのです。
 
それら全ては単なるカギです。
 
そのカギによって、私たちは自分を終わること無く体験し続けているのです。
 
全てにはじめから決めつけられた意味というのは無いのです。そこに意味をつけることによって、自分を体験すること。それが人生なのです。
 
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