アセンションの時代

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「今」を生きる

私たちは長らく「未来」という妄想に取りつかれてきました。
 
3次元の世界を解釈する上で、時間と言うものは変化を把握する上での重要なモノサシになることは確かです。
 
しかし、いま3次元の世界を卒業しようと決めた人たちにとっては、もうそのモノサシはあまり意味のないものへとなっていくのです。
 
皆さんに聞いてみたいのですが、どなたか「過去」という時間を生きたことのある人はいますか?
 
では、「未来」という時間を生きたことのある人はいますか?
 
実は過去や未来という「時間」は存在していないんですね。
 
頭の中で勝手にこれは過去、これは未来と、記憶を整理す上で人間が作り出したオリジナルの記憶術に過ぎないのです。
 
つまり、概念として仮の前提条件を申し合わせ、「時間」というモノサシをつかって変化を認識していこうと、人類の中に出来上がった申し合わせ事項であり、実際にそうした「時間」が存在するという事ではないんです。
 
例えば子供のころを「過去」という「時間」に分類しますが、子供のころ「過去」に生きていた訳ではないのです。子供のころもやはり今と同様に「今」に生きていたのです。
 
私たちは常に今と言う瞬間にしか存在していないのです。
 
例えば「バシャール」と「ダリル」は未来生と過去生の関係にあると言われていますが、バシャールが未来と言う時間を生きていて、ダリルが過去と言う時間に生きている訳ではありません。
 
2人とも、同時に今という瞬間を生きているのです。
 
そうした現実にありながら、これまで私たちは「未来」という幻想の時間に意識を囚われてきました。
 
良い中学校にはいるために、小学校のころから塾に通い。
良い高校に入るために、中学校でも勉強に追われ。
良い大学に入るために、高校では受験勉強漬け。
良い就職先に入るために、大学でも自分を規制する。
就職すれば、出世のために仕事漬け・・・・・。
 
もちろん、これは判りやすく書いた単なる一例ですが、状況やテーマは変わっても、私たちは様々な場面で未来やあるいは過去に囚われてきました。
 
無いものに意識を奪われ、いまこの瞬間にあるものを見過ごしてきたのです。
 
唯一、自己と世界の全てが実在し存在するこの瞬間から意識を雲散霧消させてしまっていたんですね。
 
すべては「今・ここ」にあるんです。
 
それを知れば、その時はじめてその現実をつかむ可能性が芽生えてくるのです。
 
遠いどこかにあるわけではないんですね。時間が幻想なら、距離もまた幻想なんですね。
 
だから、いつ?どこ?という3次元特有の疑問はやはりそれ自体が幻想であり、答えは常に「今・ここ」なんですね。
 
今・ここにすでに全てが存在している。あと問題なのは、自らの波動がそこに焦点を合わせられるかどうかにかかっているのだと思います。
 
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