アセンションの時代

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「シンプル」な話し

さて、今日はおしゃもじさんが振ってくれたテーマで記事を書いてみたいと思います。
 
おしゃもじさんも感じられているように、私もそれはスピリチュアルにおいてもっとも根本的で核心的な事だと感じています。
 
つまり、世界の全ては自分であり、自分は世界の全てであるという事です。
 
全ては自分である訳ですから、当然に法則的に「助け合う・協力し合う」などの調和的なエネルギーが尊重されます。
 
ここをしっかりと押さえないと、「競争・奪い合い」の分離的なエネルギーに支配されることになってしまうんですね。
 
とても単純にしてシンプルな事なのですが、未だにそこかしこに比較して競争する事が蔓延っているということは、まだそのはじめの一歩を踏み出すことが難しいようですね。
 
この社会を生きてきたわけですから、その気持ちもわからないでもないのですが。
 
地球上の動植物の進化の歴史みたいなのを見ると、1つの生命としてはじまったものが次々と枝分かれして多様性が生まれていますよね。
 
1個体としての生命でも同じですよね。受精卵が次々に細胞分裂して様々な器官を構成して1つの生命体となっていきます。
 
宇宙もまた同様です。ビッグバンという現象によって、点からはじまった宇宙は様々な多様性を持って膨張しています。
 
そうした全てをどこまでも遡っていくと、1つの存在へとたどり着くのですね。
 
それを私たちは、「一なるもの」あるいは「神」などと表現するのですが、全てはその全てである1つの存在からはじまっているのです。
 
神が分裂すると、全体としての神とともに部分的な神が誕生します。その分裂を繰り返すととても部分的な神がたくさん誕生することになるんですね。それが私たちです。
 
いまここで人間としての自我を持って存在している私たちは、「一なるもの」としての万能の性質を秘めた「ごく部分的な神自身」なんですね。
 
なぜ神はごく部分的な神自身(つまり私たち)を創造したのでしょうか?
 
それは、ごく部分的な存在になれば、一なる全体にまでの成長・進化を体験することが出来るからです。自分を体験することによって、体験する前の自分よりも部分的にも全体としても成長することが出来るのです。
 
そうして私たちは神の一部として成長を続け、それによって全体としての神自身も成長し続けるのです。それを神道的に言えば「弥栄」ということになるのだと思います。
 
こうした世界観を自らの中心に据えることをスピリチュアルというんですね。
 
こうした中心をキチンと固定せずに、周囲の感覚的なものからスピリチュアルを深めていく人が多いですし、これまでの時代は私も含めて誰もが最初はそうなのではないかと思います。
 
ただ、これからの時代はそんな遠回りをしなくても、はじめからキチンとそうした中心的な考えをキチンと押さえていくことが可能な時代になってくると思います。
 
それによって、これからの人々はスピリチュアル的な覚醒というのを劇的な加速をもって体験していくことが出来るだろうと思っています。
 
何事も基礎をしっかりと据えなくては、より良いものを構築していくことは出来ないんですね。
 
とてもシンプルな話しの積み重ねなんです。
 
それを複雑に複雑に、自ら訳がわからなくなるほど複雑にして、それをいかに複雑に説明できるかで知性を評価してきたのが私たち人類なんです。
 
しかし、真実はとてもシンプルにして単純なんですね。
 
しかし、分離の世界では、真実を隠して相手よりより有利な立場を確保しようとするのです。これまで、人類がそのゆな複雑怪奇の迷宮に導かれて来たのも、そうした意図を持ったごく一部の人々によってのことなのですね。
 
何も不思議なことではなんですね。分離の世界においては、それはごく当たり前で当然の結果なのです。
 
そして、私たちは疑いようも無い程に明らかに、競争(分離)の世界を生きてきました。
 
これはどういう人々の陰謀で・・・。いや、陰謀などとはバカバカしい。だけど、こうして調べてみると・・・。いやいや、そんな事はありえない・・・。
 
別にそうした議論も必要かも知れません。実際にこの世界がどうあったのかを認識することも大切かも知れません。
 
しかし、それ以前の問題として、私たちは競争(分離)の世界にあって、その世界にある以上、そうしたことが起こるのは必然なんですね。それがエネルギーの質的な関連性なんです。
 
陰謀であってもなくても、別にどちらでもいいんですね。
 
問題はこれまで分離の世界にあった。当然の結果、支配というシステムのもと、情報は隠され大衆はコントロールされてきた。問題はシンプルにして当たり前の事なのです。
 
複雑に複雑に解らなくさせようとする誘いにのる必要はないんですね。
 
本質はとてもシンプルなんです。
 
本当に単純な話しなんです。