アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

話しながらの鳳来寺山

ブログ的にはスランプですね。(笑)
 
これまでの日常的な現実では、あまり積極的な結果を求められる環境にはなかったので、悪い意味ではないのですがある意味では自分の殻の中に閉じこもって、地力をつけて内面的な成長に中心をおいて来ました。
 
実際に、日常の世界への現れにはあまり高望みをできる環境でもなかったし、無理な環境の中で非効率的にあちこちにブツカリながら成長していくと言うタイプでもないので、表層的な日常生活の現れには地味でいぶし銀なもので満足していました。
 
従って、そういう視点からは日常生活と言うのはつまらないわけではないのですが、非積極的な状況にありました。そして、内面世界において積極的な成長を求めて試行錯誤を繰り返していたために、その1つの現れとなってブログというはけ口があった訳です。
 
しかし、どうも完全に流れは変わりつつあるようです。
 
外面的に活動せず、内面的に急速な変化を遂げるサナギの期間は、今まさに終わりつつあるようです。
 
ようやく外面に向かって、自分を積極的に表現する時間に移りつつあるのを感じています。
 
職場も完全に崩壊しつつあり、6月末に退職の線で自分の中では決定しています。年末年始に3月末で退職しようかと考えたときに、感覚的に流れを読み取ったとかなりの自信を持って感じたんですね。
 
「まだ少し早い。今辞めると言うのは現象世界を強引に変えて、外側への現れを持って自分を変化させようと言う旧来の手法だ。もう少しだけ待てば、必ず内面からの現れとして退職へと向かうお膳立てが外面から現れてくるはずだ。」と。
 
そして、結果として完璧にそれが的中した形になっています。
 
個人的な問題としてではなく、職場内の集団的な問題として2月以降に一気にその崩壊が加速しだしたのです。10人程度の職場なのですが、転勤と退職で4名程度の人が夏までに離脱することになりそうです。
 
しかも、自分では考える事が出来ずに、役員の言いなりに振り回されている上の方の職員を残して、それをカバーして負担を被ってきた、自分で考えて動ける下の方からの4名なんですね。
 
いやー、まるで熟年離婚のような構図ですね。
 
これで、言われなくても動ける人が一人も居なくなってしまうんですね。
 
高給取りの肩書き持ちで、言われたことしか出来ない人たちだけで・・・、まっいいや。
 
残される人たちの事をとやかく言うのも趣味が悪いですよね。決して人柄が悪い人たちではないですし、年功序列で当てはめられた役職が自分の個性にマッチしていなかっただけですからね。
 
これを機会に、組織体制を改めて程よく収まってくれれば、それでいいのだと思います。
 
で、今日は有給休暇を取ってまた鳳来寺山へ行ってきたのですが、早めに帰って退職後の活動についての下調べをしようと思っていたのですが、登り始めるなり60後半くらいのおじさんとやはりその世代のおばさん2人組と一緒になって、今日は4人で話しながら頂上までの道のりを歩いてきました。
 
おじさんはみんなで歩きたいらしく、しかしおばさん2人組は友達同士で気楽に歩きたいようだったのですが・・・。おじさん空気読めず(笑)、その間に入って中和しながらの道のりでした。
 
私はいつも通りの森林浴ペースでやや遅れぎみに歩いていたのですが、たまには話しながら歩くのも悪くないなぁと思いました。
 
しかし、思ったより帰りが遅くなって、退職後の事で確認したかったことが確認できませんでしたが、それもそれでよし。計画を厳密に進めようとする手法は卒業して、流れの中で方向性を持って進めていくようにしようと思っています。