アセンションの時代

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「意識」の形

今朝は近所の山へ散歩に行ってきました。山は小さな虫などが飛び出したりしだしたので、海へ行こうかとも思ったのですが、風が強かったので木々に囲まれて風から守られた山の中を散歩してきました。
 
今日はなんか、感覚が変わってきたことに気づきました。
 
これまでいつも私が書いてきたのは、「エネルギー感覚」についてだったのですが、今朝ははじめてだと思うのですが、エネルギーとは異なる感覚に変化を感じました。
 
「意識感覚」とでも言うのでしょうか。
 
私が熱田神宮などの神社や鳳来寺山が好きな理由に、「空間」的な感覚に関する理由があります。それらの奥行きを感じられる風景に昔からなぜかひかれるものがあったのです。
 
そして、最近そうした場所に行ったときに意識していたのが、空間というか距離感を消すイメージです。
 
私たちの世界の時空間と言うのは、錯覚であるとよく言われます。時間についても考え・感じてきたように、空間についてもそれを考えていたんですね。
 
距離感のない感覚と言うのを模索していたような感じです。
 
何となくそれなりに微妙な感覚を自分なりに試していたのですが、その中で今朝、山の中を歩いていて一時的にですがフッと気づいたんですね。
 
「あれっ、空間がない?距離感がない?」って。まるで「夢の中」だって思いました。この感覚は夢を見ているときの感覚だって、ハッキリと感じました。
 
その時の「意識のある場所」について感じたことがあるので、書いておきたいと思います。
 
通常、意識と言うのは脳というか額のあたりに中心があると思うのです。この額の位置を点で表すとします。
 
すると、その点を中心として意識は周囲に広がっています。その意識の広がる形を輪ゴムで表すとします。
 
紙の上に点を記し、それを額だとして、その点が中心に来るようにその紙の上に輪ゴムを置きます。輪ゴムの丸の中心に点がある状態ですね。額を中心に意識が広がっている状態です。
 
通常、意識と言うのは視覚に大きく影響をうけます。通常は、前方に見えるものに意識が向かうものなのです。従って、意識の輪ゴムを前後に引っ張ったように、意識の形は通常は前後にのびたラグビーボールのような形で存在していると思うのです。
 
ところが、私が距離感をなくして、現実に目を覚ました状態で山の中を歩きながら、まるで夢の中のように感じた時の意識の形と言うのは、縦長の楕円ではなくて横長の楕円の状態にあったんですね。
 
輪ゴムを前後に引っ張るのではなくて、横に引っ張ったような状態の意識の形にしていたのです。
 
これは距離感を消そうとする中で、距離感は意識と大きくかかわっているのだと感じたので、前後の距離感を消すために意識の形をを平面的に横に引き伸ばしてみたんですね。それでビンゴ!だった感じですね。
 
意識の形と言うのもこれまで色々と試していたのです。基本的にはトーラスの形になるのではないかとか、それよりも鼓を横にしたような形の方がしっくりきそうだと感じていたのですが、今回のは、その鼓(つづみ)の形を前後からギューッと圧縮してペッタンコに潰してしまった感じです。
 
そこでふと思ったのですが、これを上下・左右でも同じようにやったのなら、最終的には意識は「点」になってしまうと思いました。?
 
そこで思考停止です。それ以上はどういうことかサッパリ想像もつきません。そしたら意識は異なる次元にでも入っていってしまうのでしょうか?
 
まあ、何にしてもあまりにも解らなさすぎます。今日は、起きたまま夢を見たような感覚があったので、ちょっとそれを書いてみました。
 
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