アセンションの時代

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エネルギーに「求めるもの」

身体が怠いです。22~23年前を思い出す怠さです。
 
今になって思えば、その頃にエネルギー的に最初の大きな影響期を迎えていました。頻繁に訪れる偏頭痛が始まったのがその頃でした。その頭痛のほとんどが、春または秋だったと思います。
 
そして、今日のような猛烈な身体のだるさにもたびたび襲われており、それも春が多かったような気がします。
 
そうした猛烈な怠さに襲われていた22~23年前のゴールデンウィーク中に、昼寝から目覚めた直後に幽体離脱を体験しかけたのです。
 
途中までは興奮が上回っていたのですが、「戻れなくなるかも知れない」という恐怖で慌てて目を開けたら一瞬で日常に戻りました。
 
今でもその時の体験というのは強く心に残っており、「今度、そうした不思議な体験があったときには、逃げ出さずにキチンと体験するんだ。」と思い出す度にそう思っています。
 
そして、同じゴールデンウィーク中にまた猛烈や怠さがやってきた事によって、そんなことを思い出しました。
 
エネルギー的にかなり変化が訪れています。これまで、春分や蝕がある度に、昔は頭痛として感じており、最近では外からのエネルギー的な強い波を感じていたのですが、昨日くらいから感じ始めているのは、外からやってくるエネルギーの波ではなくて、自分の内からやってくるエネルギーの波のようなものを感じています。
 
これまでというか少し前までは、外に意識を向けて外から強いエネルギーを取り込むというようにエネルギーを感じていたのですが、今ではその様に感じる事が出来なくなってきています。「外」に意識を向けると、エネルギーをあまり感じなくなってきたんです。
 
何というか、スカスカした感じ。平たく言えば、エネルギーを感じ出す前の「普通」な感覚に戻ったような。
 
かといって、エネルギーを感じなくなったとか弱くなったかというとそんなことは全然無くて、自分の「内」に意識を向けるとこれまで以上に強いエネルギーが沸き上がってくるんですね。
 
原因の1つは、世界観の変化がかなり進んできた事にあるとも思います。
 
つまり一般的に言う「外」は、以前の世界観ではその通りに「外」であったので、矛盾はなくその「外」からエネルギーを受けていたのです。
 
しかし、その「外」は、今の私の世界観では「内」なんですね。
 
例えば、自分の目の前に一般的に言えば「外」の空間が広がっています。その空間は、私の今の感覚では「内」なんですね。だから、その「外」の空間から気を取り込もうという試みは、今の私の世界観としては矛盾した行為なんですね。
 
だから、目の前の空間のエネルギーを感じようと思ったら、自分の「内」にある目の前の空間のエネルギーを確認するような感じになるんですね。
 
そうすれば、身体内のエネルギーと目の前の空間のエネルギーを強く感じることが出来ます。
 
だから、以前のようにエネルギー的に、頻繁に「外」を感じることが無くなっています。ただ、天地のエネルギーというのはやはり大きくある意味で「外」にあるような気がします。それは頭頂と仙骨あたりからそれぞれ意識をすれば大量に流れ込んでくるのを感じます。
 
身体の怠さもそうしたエネルギー的な変化に関係のあることだと思います。身体の感覚が、肉体感覚からエネルギー感覚に随分と移行してきているのを感じており、その影響ではないかと思うのです。
 
そうして文字に書いてしまうと、ちょっと自分でも大げさなように感じてしまいますが、文字や理屈としてではなく、何となくの雰囲気として読み取ってもらえたらと思います。
 
ただ、雰囲気とは言っても気のせいとかいうレベルは明らかに通り越しており、気のせいではなく明らかな感覚的なものです。
 
こうした感覚がもたらす変化として私が期待するのは、実は本当の本心を言うと、超能力的な変化では無いんですね。それもオモシロイだろうなとは思うし、それはそれで興味はもちろんありますが、本当に求めているものはそうしたものではないのです。
 
私が本当に期待しているのは、エネルギー的な自らの「内」、つまり肉体的な周囲に広がる自らのエネルギー領域が引き寄せてくる、いわゆる現実としての「日常生活の中に引き寄せられてくる流れ」なんですね。
 
つまり、周囲には未だに「分離の社会」が広がっているわけです。これを「調和の社会」に、自分で出来ることからドンドン変えていきたいんですね。
 
それが可能となる流れを引き寄せること、つまり調和的変化へのシンクロを次々と引き寄せて、日常社会を大きく分離から調和の方向へと変化させていきたいのです。
 
私がエネルギー的な感覚拡大から、もっとも本当に期待している事というのは、そういう事なんですね。
 
私という「個性」は、そういうものに興味があるみたいです。
 
昔から自分のハートが、いつもそう囁き続けてきていたのが、今ではよく解るんですね。
 
個人がその「個性としての」才能や能力をもって、ひとりでどんどん進んでいけば良いかのような思い方もあると思うんですね。各自がそれぞれに魂のレベルで設定しているものがあるのだから、自分は自分でサッサと行けばよいという感じとでもいうのでしょうか。
 
しかし、それって自分の内なる会話としてやや皮肉混じりに言ってみれば、「仙人」の生活なんですね。
 
私の求めているこの次元での生活ではないんですね。
 
私が体験したいのは「超能力」ではなくて、「社会や自然との分離から調和へと向かう変化」への流れをみんなと一緒につくりだして行きたいんですね。
 
だから、そうした変化へのシンクロを引き寄せたいんです(笑)。もちろん、押しつける気はないですし、分離をもう少し体験したいという人にはその選択を尊重しますが。
 
オモシロイと思うんだけれどなぁ。俺って地味かなぁ?(笑)
 
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