ひふみ神示
昨夜、半端な時間を持て余して「ひふみ神示」を手に取って開いたページを数ページほど読んだのですが、やっぱり濃いですね。内容が相当に濃いです。
ひふみ神示は一時期取りつかれたように読み続け、意味も解ったような解らないようなまま、延々と10回くらい読み返したんですね。
ほとんど内容を理解できていませんでしたが、微かに理解できる部分から「これは本物だ」と確信して読み返していたのですが、いつかもう少し理解して読める時期が来るだろうと思ったきり、もうしばらく読んでいませんでした。
その間に、チャネリングからの情報をかなり吸収してきて、多次元的世界観も以前の白紙状態からは多少は進歩しているのでそろそろ一度読み返してみるとオモシロいだろうなとはここのところ思っていたところです。
独特の言い回しと簡単には理解しにくい表現が、言葉で表現しきれない深い部分を想像させるからではないかと思うのです。
現代語でこうだと言われると、その言葉の理解以上の深みへと想像が膨らみにくいんですね。
言葉で何と言っても、実際にそこに込められているものは探求しだせばどこまでも深いものがあるのです。ひふみ神示は、パッとは理解しがたい言葉によって、その深みの探求を促してくるんですね。
現代語のサッパリしたものは、それはそれとして理解しやすく多くの情報を読みこなすことによって理解が進みとても大切な情報源であり、神示は神示で繰り返し同じものを読むことによって深みが増していくのだと思います。
どちらも大切ですが、それぞれに伝え方に個性があるようです。
例えば、アセンションをすることを選択しない人々の地球では、パラレルワールド的な現実として人類が滅びるシナリオへと進んでいる訳ですが、そういう世界では文字通り終末的な予言として読み解く読み方で予言書的な意味を持ってきます。
太陽とあれば、天体としての太陽ばかりでなく、それに象徴されるようなエネルギーの性質を表しているのだと理解して、実際の世界のエネルギー情勢のなかでそれが何を言い表しているのかを理解して読み解くのです。もちろん、そのまま太陽を表現していることもあるでしょうし。
月も、日本も、アメリカも、水も、火も、大掃除も、天地がひっくり返るも、全てはエネルギーの性質として現実のエネルギー情勢に落とし込んで理解するのです。
天地がひっくり返るとは繰り返し出てくる言葉ですが、何も終末におとずれる天変地異を言っている訳ではありません、少なくとも私たちの選択したパラレル地球においては。
上と下がひっくり返ると言う事では、一例としては上と見られてきた物質(お金)と軽く嘲笑われ下に見下されてきた心(愛)とがひっくり返ると解釈できます。しかし、これだけが正解というのではありません。
魂はそれぞれの役割を持ってそれぞれの世代として生まれてきます。物質主義を加速させた親の世代と心へと立ち戻るこの世代とで、親が子のように、子が親のように上下が入れかわることでもあります。
他にも解釈はそれこそ無限にあるのです。従って、ひふみ神示を読み解くにはそればかりに取りつかれた学者ではなく、広く世界を知る必要があるのです。
矢野祐太郎-矢野シン-岡本天明-矢野シン(訳)へと繋がる一連の神示の流れが、どうも自分に絡みついてくるような気がします。
しばらくは日常的に忙しい時間になりそうですが、落ち着いたらまた一度、その辺の色々な神示を読み返してみたいと思っています。楽しみです。