アセンションの時代

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エネルギーと距離

私たちが世界を認識しようとする時、視覚というのは圧倒的な要素となります。
 
それ自体はある意味で自然なことであり、この世界を生きていくには常識的に大切な要素であることは否定できません。
 
しかし今、アセンションというエネルギー波動の上昇の時期を迎える中で、これまでのようにあまりにも五感における「視覚」という要素のみで世界を眺めることは、逆に私たちを低い波動の世界に縛り付けることになってしまうのかも知れません。
 
考えてみれば、アセンションにおける重要なテーマというのは、直接的には目には見えないものであり、目には見えないところから広がってくるものなんですよね。
 
そのような意味において今朝、海浜公園を散歩していた時に思ったことを書いてみます。
 
早朝の海浜公園にいるのは、釣りをしている人たちと、散歩をしているお年寄りの方が数人で、基本的に緑と海に囲まれたとても良い環境です。
 
私は基本的にゆっくりと歩くので、お年寄りの方にも追い抜かれていきます。海岸沿いの直線の道を、前を行くお年寄りの姿がどんどんと小さくなっていきます。私の世界(視界)の中で、その人の存在がどんどんと小さくなっていきます。
 
私のエネルギー世界において、その人のエネルギーの存在がどんどんと小さくなっていくのです。
 
しかし、その人とあいさつをした時のことを考えれば、その距離に関係なくその人のエネルギーの側面が私の中に広がります。
 
例えば、遠く離れている人は、物理的距離においてはまるで影響を与え合える距離にはないのですが、その人を思うことによって自分の内にその人の持つエネルギーの質がパッと広がります。
 
その人のエネルギーの質に大きな影響を受けることになるんですね。距離とはまるで関係なく。
 
目の前に恋人がいても、その時は遠く離れているとても苦手な上司に怒られるかもしれないということで頭がいっぱいな時には、その人はエネルギー的には上司のエネルギーに浸りきってしまっているんですね。物理的距離とは関係なく。
 
また、人が亡くなるときに「例え死んでも、みんなの心の中で生き続ける」というのは、まさにその典型であると言えると思います。物理的には再会不能な状況に置かれてしまっても、思い出すことによってその人のエネルギーの質を自らの内に広げることが出来るのですね。
 
私たちは何を求め、どのような人たちと繋がっていきたいのかを考えるとき、その繋がりというのは必ずしも物理的な距離や時間とは関係がないということです。
 
例えば1つの例として言えば、私はチャネリングは出来ませんが、高次元の存在のいう事を常に意識している事によって、私の内は高次元的エネルギーの質と繋がり続けている事が出来るのですね。
 
これは誰にでも言えることで、例えばテレビのニュース番組や新聞で、事件や事故の情報にばかり触れていれば、そういうエネルギーの質と強いつながりが出来ていくという事なんですね。
 
だから、私たちはワクワクすることに向かって、自らの内に躍動的なエネルギーを広げていくことが大切になってくるんですね。きっと。(笑)
 
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 ← よ~ろしくね。(笑)