アセンションの時代

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「自己」の正体

自己の正体について、少し解ってきたような気がしています。
 
自己・自分とは何なのかについて考えてみます。
 
こうした考え方にも様々な側面があり、どういう角度から捉えるかによって見方が変わってくると思うのですが、そうした側面はあえて気にせずに、より本質的な自己について探求してみたいと思います。
 
まず、いわゆる肉体が自己でないことは理解できます。(実際には全てが自己であるとも言えるのですが、今回はそういう視点はよけておくことにします。)
 
肉体に宿っている魂もまた、自己(より本質的な)ではありません。魂もまた肉体の一種なのではないかと思っています。
 
では、さまざまに世界を考えている「思考」や「観念」が自己なのでしょうか?
 
色々な議論を重ねてみると、これまでの人類の集合意識においては、それこそが「自己」であるのだと暗黙的に定義づけているような気がします。
 
嬉しい・悲しい・楽しい・苦しい。そう「考え感じている」存在こそが自己であるのだと。
 
意識していてもしていなくても、それがこれまでの人類の集合的合意であったのではないかと思うのです。それがこれまでのパラダイムであったのだと思うのです。
 
しかし、このパラダイムでは人間はいつまでたっても本当の幸せという安定にはたどり着けないと思うのです。
 
そうしたものは何か別のものに主体があり、そこから生まれてくる反応のような要素が強いからです。つまり、具体的には自分を取り巻く外の世界に主体があり、それに反応しているものが「自己」の本質であるという事になってしまうからです。
 
その場合はやはり、「自己」を変えるためには「外の世界」を変えなければならなくなってしまいます。まさに、これまでの人類のパラダイムです。
 
しかし、ここにパラダイムシフトの可能性があります。
 
さらに本質的な「自己」を見つけ出すのです。私はそれは「存在」ではないかと思い始めています。良いでも悪いでもない、大きいでも小さいでもない、強いでもない弱いでもない、ただただそこに存在している全てではないかと思うのです。
 
そうした本当の自己を、「思考や観念」という角度から様々に観察して経験している、「観察者」なのではないかと。
 
つまり、自己とは「ただ存在し観察する者」なのではないかと思えるのです。それが自己であるのなら、「思考や観念」という角度を変えることによってそれまでとは異なったいわゆる自分を体験することが出来ます。
 
今はそこに次の大きな一歩の可能性があるのではないかと目星をつけはじめています。
 
これを感覚と経験の中に落とし込んで、自分のパラダイムを切り替えてみたいと思っています。実際問題として、3次元とは異なるエネルギー感覚が強まってきているという事が大きくそうした考えに影響していると思います。
 
所で話しは変わりますが、皆さんは「時間」についてどのように感じていますでしょうか?私は時間が矢のように飛んでいるかのように感じています。それは退職して環境が変わったからではなく、それ以前から。
 
あっという間に毎日が過ぎ去っていきます。
 
そのように飛び去っていく時間の中で、ゆっくりと変化し続けている自分を感じています。どちらかというまでもなく、時間軸がいわゆる「時間」ではなく「変化する自分」に完全に移行しているように感じます。
 
それは、単なる気のせいですませるには、あまりにもハッキリとした感覚としてそうなのですがどうなんでしょうか。
 
確かチャネリング情報等にも「時間が速くなる」というものは多々あったと思うのですが、その暗示にかかったというものではないと思います。
 
まあ、人生としては早送りしたい場面なので、これ幸いというところですが。(笑)
 
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