アセンションの時代

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「三位一体」としての自己

ここのところ、スピリチュアルな進化を経て「不安」を感じなくなるにはどうしたら良いのか、というテーマについて考えています。
 
まず重要な認識として、不安は自分の置かれている「状況」によって生み出されるものではなく、その状況を自分がどう認識するかというその「観念によって生み出される自分の状態」だということです。
 
つまり、不安という問題は、日常的な世界に現れてくる様々な(自分の)外側の状況にあるのではなく、自らの内面から生み出されてくるものだということです。
 
私達の多くはその時点で問題の原因を誤解しているわけで、私達は基本的に外側の世界に現れて来る状況を変えることによって不安を解消しようと努力を続けてきました。
 
しかし、それでは本当の(内側の)問題点が解決されることはなく、また次から次へと外側の状況に振り回されその状況と格闘を続けていく訳です。それこそ、延々と人生が終わるまで。
 
しかし、もう1つの道があるんですね。それは自己の内面世界にある問題を解消することによって、根本的に「不安」と決別するという道です。
 
その道を追求しているうちに、私は自己の定義として「3つの自己」があることを感じ始めています。
 
1つ目は、「第3密度(4次元)世界そのもの」としての自分
2つ目は、「第3密度(4次元)世界を思考して感じている」自分
3つ目は、「多次元的にただ存在し続けている」自分
 
私達が自己と考えやすいのは2つ目であり、これはエゴの事でありここのあり方が不安の根源になります。
 
マスターたちが感じているのは3つ目ではないかと思います。ここは言って見れば神としての自己とも言えるのかも知れません。ここには評価や判断の思考的な要素は存在せずに、ただ「存在があるのみ」です。
 
その存在は太陽に例えられる事があります。何は良いとか何は悪いなどと言って区別することなく、太陽は全ての存在にただ暖かな愛のエネルギーを降り注ぎます。
 
全ては3つ目の自己から生まれているのですが、2つ目の自己はそれを「忘れて」います。「忘れる」事がこの世界に存在する事の意味を生み出しているからです。つまり、それによって「経験」が可能になっているのです。
 
私はここのところ、この3つの自己を区別して感じるようにしています。動いたりしていると2つ目の自己に意識が集中してしまうのですが、ジッと座っている状態では何となく掴みかけてきているような気もしています。
 
2つ目のエゴが「不安」を生み出しています。3つ目の自己は完全なる存在です。
 
2つ目の自己をもって、3つ目の自己を受け入れれば「不安」は消えると思うのです。1つ目の自己という舞台を通して。
 
何となく、感覚は掴みかけてきている気がします。「不安」を感じる必要は無いということです。全ては満たされているという事です。ただ、それで「状況」がガラリと改善されるというものではないようです。しかし、それで「状態」はガラリと改善されます。つまり、「不安」は消えるという事です。
 
それをマスターしたとは言えませんが、手探りしながらそれなりの方向へ進んでいるような気はしています。
 
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