アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

「覚醒」について

私たちは今、アセンションと言う覚醒の時代を生きています。
 
簡単に言ってしまえば「覚醒」なのですが、実際のところ覚醒って何なんでしょうか?
 
覚醒とは「目覚め」という意味ですが、目覚めの時を迎えたということは、逆に言えば今までは眠っていたということになります。
 
ここで少し言葉を変えて、「忘れていた」という言葉で少し書いてみたいと思います。その場合、覚醒とは「思い出す」という事になります。
 
この限定された次元を超えた、より本質的な私たちには私たちが感じているような「時間」は存在しないそうです。
 
その存在しない時間を私たちが感じているのは、集団的な合意に基づいて、私たちが幻想としてそれを創り出しているからなのです。
 
私たちは「過去」から成長した「今」の自分が、いつか「未来」では理想にたどり着けるのではないかと考えます。
 
しかし、「未来」というのは幻想であって、幻想の中に理想を置くことによってその実現を困難なものにしているんですね。
 
これは、物理的次元法則の強い場合より、よりスピリチュアル的な成長の場合に綺麗に当てはまって感じられると思います。
 
基本的にアセンションと言うテーマで、多次元の自分に「目覚める・思い出す」という時に、これまでの第3密度(4次元)的な考え所なるのは、「成長」についてです。
 
これまで、私たちは「時間とともに成長」していく事を求め、未来のどこかでより理想的な満足いく自分になれるのではないかと思ってきました。
 
これまでの幻想の世界では、それこそが現実でした。
 
しかし、私たちが目覚め・思い出し始めると、その現実は幻想であったということが解り始めるようです。これまでの不完全な私たちが幻想なら、完全な私たちが存在すると思ってきた未来と言う時間を幻想なのだと。
 
では、幻想ではない真実とはいったい何なのでしょうか?
 
それは、「永遠の今この瞬間」に存在する「完全なる存在としての自分」。それこそが真実であるようです。
 
では、それとはあまりにもかけ離れて感じられる今ここで感じている「自分」とはいったい何なのか?
 
それこそが「エゴ」。多次元的真実の自分の中に生み出された、第3密度(4次元)的側面としての自己なんですね。
 
このエゴは、真実を「忘れる」事によって様々な「体験」をすることを目的に生み出されたのです。完全なる自分の内にそれを「忘れる」事によって生み出された限定的「自己」なんですね。
 
覚醒とは、幻想の世界にいる「エゴ」としての小さな自分が、多次元完全体として存在している本当の自己を思い出すという事のようです。
 
つまり、完全な状態で存在しているものこそ本当の自分であって、エゴが生み出している第3密度(4次元)の自己は幻想なんですね。その幻想は本当の自己を「忘れて」しまっているんです。
 
それを「思い出す」のが覚醒です。
 
私たちは「過去から未来へと成長していく」というのは、第3密度(4次元)という世界の幻想なんですね。
 
真実では、過去も未来もなく、ただ完全なる存在としての自分が「(多次元的な)今・ここに」いるだけなのです。それをエゴが「思い出す」のです。
 
波動の高さとは、「どれだけ思い出したか」のバロメーターなんだと思います。
 
イメージ 1
 ← ポチッとな♪