アセンションの時代

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思考と感覚を「馴染ませる」

アイシャ・ノース経由の、CC達からのチャネリング情報がここ数日お休みになっています。
 
また、そろそろ再開される頃だとは思うのですが、案内人から離れてしまったような感じでちょっと寂しいですね。
 
ただ、これまで私は高次元の存在からのチャネリング情報から多くの学びを得てきましたが、この期間はいわゆる人間として存在している、マスターと言われる人たちの教えに繰り返し耳を傾けてきました。
 
チャネリング情報のジャンルが多岐に渡っているのと比較すると、マスター達の教えはその根本が1つに収れんしているように感じられます。それはもしかしたら、今の私が求めているものがそうであったからそればかりが目についたと言う事かも知れませんが。
 
それは「エゴ」「観念」「存在」等々、「自分とは何か?」という事です。それを思い出すことによって「不安」を感じなくなるという事です。
 
「存在」の内で「調和」を「忘れた」「エゴ」が、存在の内に映し出された「日常世界」の上に「分離」という「観念」を重ね合わせて「幻想世界」を創り出したという訳です。
 
上の一文から言うと、「存在」が真実のパーフェクトな存在としての自分です。そして、「エゴ」が私たちが自分と感じている自分で、「存在」の内に存在しています。
 
そして、「日常世界」は単に物理的に映し出されている目の前の世界で、それをエゴが生み出した観念を通して怖いとか楽しいと感じて「体験」しているのが「幻想世界」です。
 
覚醒すると言うのは、エゴこそが自分の全てと感じていた者が、エゴの外側の「存在」の立場からエゴを眺めて観察できるようになることを言うのだと思います。
 
何となく解ってきたような気はしています。
 
ただ何となく手は届きつつも、感覚としてまだ自分に馴染み自分のものになっていないようです。
 
この記事に書いているようなかたちで、私の「エゴ」は「存在」を思い出してきていると思います。オモシロいもので、それに歩調を合わせるようなかたちでエゴの内で成長して来ていたエネルギーが、エゴを取り囲む「存在」と一体化し始めています。
 
今月に入ってから「エネルギー感覚に浸りきっている」と言うようなことを何度か書きましたが、それが上に書いたように、エゴ内のエネルギーが周囲の存在のエネルギーと一体化し始めたという事だと今は理解し始めています。
 
今は何となく地に足が着いていないような感覚です。エゴに飲み込まれている状態からは脱出しつつあるものの、きちんと存在という足場に足が着いていない状態です。
 
そうした安定感を欠いた状態で、日常世界の現れの中に何か助けがないかなぁ~と探したくなってしまうのですが、そういう姿勢では求めているものは見つからないんですね。何かにすがりたいという後ろ向きな姿勢だからですね。
 
本当は気楽に前向きに楽しんでいけば、自ずとそうしたサポートが周囲に見つかってくるものだと思うのですが、まだ、そういう姿勢が安定しないんですね。
 
1日の中にも気楽さ加減にむらがあります。
 
でも、かなり進歩してきているとは思います。まだ、目先で進歩していける余地も感じています。時々つかみかけている良い感覚を、自分に馴染んだ安定したものにしていきたいです。
 
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