アセンションの時代

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自分に帰る

結局、人生と言うのは向かうべく方向に向かっていくものなのかも知れないのだと感じています。
 
私は子供のころから、この人間世界のパラダイムに対してとても違和感を持って馴染めずに生きてきました。
 
それなりに上手に生きているように見えながらも、一見してそうした安定状態が続くと、「耐えられない」「生きている意味がない」として、大きく方向転換をしようと一般的に言えば大きく道を踏み外してきました。
 
つまりそれが全てとは言いませんが、深いところから本当の自分を生きることが出来ずにこれまで社会に無理やり迎合する形で生きてきたんですね。
 
先日、歩いている時にフッとそれに気づいたんですね。
 
そして、思ったんです。「そろそろ、本当の自分に帰って生きる時だな。」って。
 
結局、意識的にハッキリと気づいたのはその時であっても、今回の退職で一番求めていたのはそれなんだって良く解ってきたんですね。
 
「退職金が入るから、仮に収入がゼロでも最低2年間は問題なく生活していける。2年間生きたいように生きて、それで軌道に乗せれなかったらその現実を受け入れて、また自分と社会の折り合いをつけて生きていけば良いんだ。」って、そう思って退職したんですね。
 
ただそう思いながらも、いざ退職してしまうと不安が押し寄せてきて、「ヤバイぞ、ヤバイぞ。収入を確保しなくては。」と社会の常識が津波のように押し寄せてきていたんですね。
 
自分の内に築いた防波堤は決壊寸前でした。だから、スローダウンして今月はあまり行動を起こさずに、内へ内へと向かって自分を内から安定させることに集中したんですね。
 
「不安」は最大の教師である訳で、内へ向かって自分を再強化するにはちょうど良いタイミングだったのだと思います。
 
取りあえず、退職1カ月目は今後の内なる基盤としての足場をそれなりに固める事が出来てきたのかなと思っています。
 
8月も暑いことですし、内なる基盤強化の継続と外(日常)の雑事整理を進めて、9月からボチボチ動いてみようかなと思っています。本当の自分に帰って、思うままに動いて見ようかと。そのための思考切替を7・8月でキチンと下ごしらえしておこうと思います。
 
私は、自分が子育てをする前はこう思っていたんですね。
 
人間は赤ちゃんとして「白紙で生まれてくる」。だから、その人がどういう人生を歩むかは、周囲の環境が100%つくり上げていくものなんだ。だから、個人というのは環境が生み出す1つの現れでしかないんだって。
 
だから、私は自分の子供を育てるにあたって、とても責任感を感じて全力で子供たちと楽しみながら、教えるべきはキチンと教える。押し付けるのではなく理解させてあげる。それが親子であって、実際にそうした日常が楽しくてしょうがなかったんですね。
 
ただ、二人目の子を育てていて強烈に感じたのは、子供は「白紙で生まれてくる」のではなくて、明らかに「個性を持って生まれてくる」のであるということだったんですね。
 
その個性はどこから来ているのだろうか?結局はそれは魂の持つ個性であったのであり、多次元的な世界を信じる多くの切っ掛けの1つにもなった訳なのですが。
 
しかし、そうした個性は地球人類という集合意識の枠に、生まれると同時に強く強引にはめられていくんですね。うまく適合する個性もあれば、うまく適合できない個性もある。
 
私はうまく適合できているようで、実は強烈なアレルギーを深いところに抱え続けていたんですね。
 
これまで押し付けられてきた集合意識を、手放してみるには良い時期なんだろうなぁって思っています。
 
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