アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

「エネルギー感覚」の変化

単なる気のせいなのか、感覚的な世界の捉え方が根本的に変わってきているのか、もう少し時間を経て自分の中に起きている感覚の変化を見極めていきたいと思っていますが、どうも感覚的な世界の捉え方が自分の中で根本的に変化してきている可能性があります。
 
昨日は子供の運動会へ行っていたのですが、その時にとても強く感じ始めたことです。ただ、それが突然であったかというと必ずしもそうではなく、夏休みに子供のプール解放の監視当番へ言ったときにも同じような感覚はあったし、遡れば熱田神宮で距離感(奥行き)を楽しんでいる感覚が発展した感覚だとも言えそうです。
 
ようはどういう事かと言うと、頭の中で距離感を無くすような感じで目の前の世界を見つめるのです。
 
遠くにいる人は小さく見えますが、私達はそれを「距離感」という錯覚を利用して、小さく見える人も頭の中で自分と同じ一人の人間に拡大して捉えています。
 
しかし、この距離感を無くします。自分への影響力のエネルギーとして相手を捕らえるのです。
 
解りにくいかもしれませんが、つまり、遠くで小さく見えている人は実際に小さいのです。自分の世界において、自分に与える影響がそれだけ小さいという事で、そのエネルギーの小ささが視覚的に小さく見えているのです。
 
それを、「距離感」という影響力を使って強引に大きい存在にする必要はないのです。
 
単なる理屈遊びのようにも感じられそうですが、自分のエネルギー感覚が世界を覆うと、それが実際にエネルギー感覚的に感じられてくるのです。その世界では、自分の存在は圧倒的に大きくなります。
 
そして、面白いことに目の前にいる人でさえ、とても小さく感じられるのです。なぜなら、物理的な視覚において捉えているのではなくて、私の世界の中における相対的なエネルギーの影響具合から相手を捕らえていますので、どうしてもこちらが圧倒的に大きくなるのです。
 
昨日から強く感じ出したその感覚は、取り合えず今日も続いています。ただ、意識をしなければ特別にそういう感覚は生まれません。エネルギー的に意識を向ければ、そう感じられてくるということです。
 
これが単なる錯覚なのか、それともこの特別な感覚が普通な状態へと進化していくものなのか継続的に観察していきたいと思います。
 
この感覚に浸っていると、はじめは自分の存在が大きくなったように感じられます。しかし、次に感じられるのは寂しさです。なんかこれまで実在として感じていたものが根本から消えてなくなってしまったように感じられて、ただ独りでいるようで寂しいです。
 
でも、これは過渡期の一時的な寂しさなのだろうと思ってみたり・・・。まあ、何にしてももう少し自分の感覚的変化を、時間をかけて観察していこうと思います。
 
ちなみに、昨夜も夢を見ました。前日ほどたくさんではありませんでしたが、少しだけ夢を見たような記憶が目覚めにありました。
 
イメージ 1
 ← よろしくね~。