「滑稽な世界」の終わりが始まる
良く考えてみてください。私たちが、どんなに滑稽な世界を生きてきたかということを。
テレビや新聞などの大手マスコミにキチンと目を通していることが1つの教養と思われてきました。
それらは一体何を伝えているのでしょうか?
交通事故・火災・自殺・戦争・疫病・・・。
交通事故による死者が、年間で約1万人だとします。そうすると1日で約30人の人が交通事故で死んでいることになります。
1日で30近くの交通死亡事故が発生しているのです。その中から適当に掻い摘んでは、様々な角度からそれを報道するのです。しかも、マスコミ各社が同じ死亡事故に的を絞り込んで、しばらくの間競うように報道をするのです。
交通死亡事故というテーマがしばらく続くと、次は自殺がテーマに取り上げられます。自殺者は年間で約3万人以上だと思います。
すると1日辺り国内で100人近くの人が自殺をしている計算になります。
それだけの自殺の中から、適当にかいつまんだものが報道されます。これもまたマスコミ各社が同じ自殺を競うように報道するのです。
火災などの事故に至っては、年間で一体どれだけの件数があるのでしょうか?それを時々、膨大な火災事故の中から適当にピックアップしてやはりマスコミ各社が共同で同じ事件を報道するのです。
それが「滑稽な世界の教養」なのです。
なぜ、そうした研究が確実に進んでいるにも関わらず、フリーエネルギーについて何も報道されないのでしょうか?
なぜ、地球外生命体について、これだけ多くの目撃者や情報があるのに、何も報道されないのでしょうか?
なぜ、マスコミは山のようにある事件や事故のなかから、悲劇の報道を抜粋して繰り返すのでしょうか?
アセンションという流れを理解している人たちには、知る気になれば全ては明白にされていることなのですが、それでもなおこの滑稽な世界は、その体裁を保ち続けてきました。
ある場所に地元の食品店があります。その隣にコンビニが出来て、食品店は潰れます。すると、また新たなコンビニが出来て、コンビニ同士で潰しあいが始まります。
そうした分離に疑問を感じずに、ただ受け入れてきたその滑稽な世界の終わりが始まります。
そんな滑稽さは、上げだしたらきりがありません。
私たちの中には、その滑稽さに気づくことを恐れている人々が今から大勢現れてくることになります。
自分の信じて生きてきた世界が、どんなに滑稽な世界であったかを知ることに耐えられない人々です。
私たちにはそれを批判し否定する資格はありません。ただ、私たちはその隣で、光をともしてそこにあるだけなのです。
その光を否定し遠ざかっていくのも、ともに手を取り合いより光を輝かせるのも、それぞれの個人が決定するものであり、他の誰もがそれを覆せるものではないのです。
滑稽な世界の終わりが始まろうとしています。
それは新しい調和の世界の始まりを告げるものになるのでしょう。