アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

ニュース番組・新聞

子供の頃は、ニュース番組を見ていたり新聞を開いている親の姿が、知的な社会生活を送っている大人だなぁと思えたものです。
 
そうした印象は、社会全体にそれなりに浸透してきた印象ではないでしょうか。つまり、ニュース番組や新聞から情報を得ることは大人としての知的な習慣であると。
 
今のようなネット社会になる前には、他に情報収集の手段が無かったという事もあり、それはそれである意味では仕方のないことであったという事も言えるかも知れません。
 
だからこそ、社会を実質支配しているネガティブ系の人々は、いとも簡単に世界をコントロールできてきたのでしょう。マスコミを支配することによって。
 
例えば、私たちはそうした報道を知的であると受け入れてきた部分があると思うのですが、実際にはそこでは何が報道されているのでしょうか。
 
例えば多いのは、事件・事故あるいはその規模が大きくなればテロ・紛争・戦争などについてですね。交通死亡事故や自殺については、とても一般的な報道素材であります。
 
しかし、考えても見て下さい。少し前のピーク時には、交通事故による死者は年間で1万人、自殺者は年間で3万人を越えていたのです。1日平均で交通事故による死者は約27名、自殺者は約82名を越えるのです。
 
仮に半分に減ったとしても、交通事故による死者は1週間で約95名、自殺者は約287名にもなるのです。
 
報道はスピードが命ですから、それらの事故・自殺の中から適当にパッと情報を捉えて、大々的に報道を繰り返しているんですね。
 
そうした情報を、程よく色々に織り交ぜながら日夜の報道で繰り返し、それを見る人々にネガティブな話題を提供し続けているんですね。それが、知的な生活ですよとアピールしながら。
 
金融や経済の報道を見ていても、その報道やコメントから実体や見通しを得ることは出来ないんですね。金融や経済に特には興味が無くあまり知識を持っていない場合には、そうした情報から何となく知ったような気分になってしまうのですが、今のようにインターネット等で知識のある人々から詳しい解説を得ることが出来るようになってくると、いかにマスコミの報道がただ枠を埋めるだけのいい加減なコメントかという事が良く解ってきます。
 
マスコミの報道から解ることは、現状や見通しがどうであるかではなく、マスコミをコントロールしている人々が一般大衆をどうコントロールしていきたいのかという事なんですね。
 
私たちは、かつて「情報を得る」事が大切な時代にありました。
 
しかし、インターネット等の普及により、時代は大きく切り替わったんですね。
 
今さら言うような事でもないのかも知れませんが、私たちは「情報を選別」する時代を生きているのです。選別するとは、ただ集めるのとは異なり、自ら考えてそれぞれの情報の重要性を評価しなければなりません。
 
与えられた世界の中で生きていくことから、自らの意志で世界そのものを選択し始める生き方へと転換していくのです。
 
それが、アセンションへと繋がる生き方なのだろうと思います。
 
イメージ 1