アセンションの時代

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「マニア」と「マスター」の違い

知識として頭では知っているけれど、世間の常識に妥協して、知識遊びの世界に閉じこもって行動に移さない人々がいます。
 
私もこの世界を生きてきたので良くわかるのですが、生存競争が最大のテーマになっているこの世界で、人々と異なる行動をとるということには、並大抵のエネルギーでは立ち向かえないんですね。
 
私の場合はバカなので、気が小さいくせに常に人と異なる方へと流れていってしまうんですね(笑)。
 
エネルギッシュに常識と異なる自分の生き方へ挑戦していくというよりも、「常識にそった生き方が出来ない」というのが自分としての実感なんですね。どうしても、今の社会の常識に沿って生きていくことが「出来ない」んですね。困った事です。(笑)
 
私の話はさておいて、この世界では、知識として知る事と、それを行動に移すことの間に大きな壁が存在しています。
 
例えば、スピリチュアルな知識をたくさん持っている人々にも、行動としてそれを表現していない人と、行動してそれを実践している人々とがあります。
 
ありふれた言い方をすれば、前者は「マニア」であって、後者は「マスター」であるという事が出来ます。
 
つまり、「マニア」というのは、スピリチュアルではない人がスピリチュアルに憧れてその空想に浸ることであり、「マスター」というのはスピリチュアルである人々の事を言います。
 
この二者の間には、決定的に大きな壁が存在しています。
 
一見するとマニアもマスターも、その知識において大差が無いように感じられますが、マスターはその知識そのものなんですね。完全にその知識を信じきり、その知識が形となって現れた存在なんですね。
 
しかし、マニアはその知識そのものではないんですね。お面をかぶっているようのもので、スピリチュアルなお面の下の異なる知識が形となって現れた存在なのです。
 
例えば、マスターはスピリチュアルが真の幸せに繋がると信じています。
 
しかし、マニアはスピリチュアルは素晴らしい。だけど、現実的にそれを実践するには問題が多いので、取りあえずは人と同じ生き方をしていくことのほうが結果的に幸せになれると信じているのです。
 
アセンションにおいて、2014年までの期間というのは、スピリチュアルなマスターもしくはマニアになることが1つの大きな目標でした。
 
私は別にマニアを批判しているわけではないのです。ただ、そうであることを、そうであると書いているだけで、良いとか悪いという事を言いたいわけではないのです。
 
私は「マニア」というのは、不完全や失敗だとは認識していません。それは、「マスター」になるために必要な前段階なのです。「マスター」が蝶だとすれば、「マニア」はサナギなのです。
 
私たちはそれぞれに異なった波動世界を、すでに今の自分の波動によって無意識的に選択し終えているのです。
 
そして、2015年からは、これまで1つに重なり合っていた異なる波動世界の分離が、加速を始めます。アセンションを選択した世界もあれば、滅亡を選択した世界もあります。
 
マスターはマスター、マニアはマニア、分離的な人は分離的なそれぞれの波動に応じた世界を既に選択しています。それはマインドにより選択するものではなく、自らの波動により選択するものなのです。
 
そうしたそれぞれの世界の分離は既に加速し始めていますが、今後数年はまだ再選択が可能な期間にあります。私は、この期間の意味を、「マニアがマスターになるための最終猶予期間」だと理解しています。
 
マニアというのは、不完全な失敗作ではなく、マスターという完成品の一歩手前の状態を言うのです。羽ばたく蝶となる前の、サナギの事を言うのです。
 
サナギは「行動を取らずに、ただ殻の中で思いだけを巡らせます」。
 
マニアがマスターとなるために必要なのは、スピリチュアルという羽を羽ばたかせて羽ばたく事だけなのです。
 
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