アセンションの時代

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物質・エネルギーの上に立つ「意識」というもの

冬至以降、エネルギー感覚が強くなっています。もう少し具体的に表現するのであれば、全体が一体性を持ち出しているというか・・・、うまく表現できませんが。
 
これまでは、肉体的な意味での自分と周囲の世界とに明らかにエネルギー的な区別というか、エネルギーを感じると事感じないとこがあったのですが、今ではそうした物理的な枠における区別が、エネルギー的に枠というか垣根としての機能を無くして、全てが一体的に感じられます。
 
それは人体という枠の中においても同じなようで、例えば手のひらにエネルギーを集中させると、それとセットで眉間のエネルギー感覚も上がり、身体全体のエネルギー感覚も上がってきます。そして、それは身体という枠の外側まで広がり・・・という具合に、ここ・そこ・あそこなどの区別がなくなって来ているように感じます。
 
すべてはここにある意識の中で起きている感じです。
 
結局、世界を支配(変な意味でなく)しているのは、「意識」なのだろうと思います。
 
私がエネルギー感覚を捉えているのも、結局、私という「意識」がエネルギー感覚を捕らえ始めているように感じます。
 
世界をどう捉え、どう生きるのかという問題も、結局は「意識」の問題であって、この意識の波動を高め、エネルギーや物質を持ってそれを表現する事に、私たちがここに存在している意味があるのだろうと思います。
 
私はエネルギー感覚を感じるようになってから、アセンションの進捗状況をはかる上で、その感覚的変化を1つの目安として来ましたが、結局のところエネルギーというのは、ある意味において物質と同類であると言えます。
 
誤解を怖れずに言ってしまえば、物質もエネルギーも、種類は異なるものの道具というか「そのものではなく、そのものを表現する素材」であると感じます。
 
そして、「そのもの」というのは「意識」の事です。
 
エネルギー感覚が上昇すると、その五感とは異なる感覚に新鮮味を感じはしますが、「それで何?」と言われれば「別に何も・・・。」と思う事しか出来ませんでした。
 
しかし、冬至以降のエネルギー感覚の変化によって感じ始めている事は、「意識が自由度を増している」ということです。それは、幅広く物事を捉えられるようになってきているなどという意味でもあり、それは以前から少しずつ自分なりに進歩してきていた事だと思います。
 
しかし、今回特に感じているのは、そういう部分ではなくて、うまく表現できないのですが、意識が空間的な自由度を増しているということです。
 
エネルギー感覚により、肉体的な自分という垣根が無くなってきたことで、意識が肉体の中から、その「場」へと広がり、そうした場の中に意識が存在しているというか・・・、う~ん、うまく言えてませんね。(笑)
 
まだ今はエネルギーを意識している時だけで、人との会話や出来事などに集中するとそうしたものは感じられなくなってしまいますが、エネルギー感覚もそうであったように、徐々に活動中であっても感じられるようになってくると思います。
 
現在は冬至を通過したところで、早くもこんな事を言っていては笑われますが、次の春分が楽しみです。1年には夏至冬至春分秋分と、蝕などの天体現象があり、エネルギー的に大きな変化を促すイベントがありますが、その中でも最大のものが「春分」だと思っています。
 
春分秋分前後というのは、エネルギー感覚が出てくる以前から、毎年のように強烈な偏頭痛に苦しめられてきました。
 
それから、2015年は1~3月から大きく動き出すようですね。私たちが直に感じられるような現象として現れるかどうかは断言できない所ですが、その可能性はあると思います。
 
また、自分としては、その期間に新しい事に取り組み始めると良いようです。自分でも感覚的に、6月末に退職してからの流れの中で1~3月が本質的な意味で動き出すタイミングだと捉えていたので、やっぱりなという思いがあります。
 
自分の思いとチャネリング情報とのシンクロから感じるのは、「考える」のではなく「感じる」ことでフィーリングによる流れを大切にする事の重要性です。
 
これからの時代は、感じる事によって流れに乗っていく事が、1つの重要なコツになっていくように思います。
 
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