アセンションの時代

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ハートとマインドの対話

私たちは、自分をマインドだと考える社会に生きてきました。考えて考えて、考えれば何とかなるのだと考えてきたのです。
 
しかし、その結果として私たちはコントロールされ、敷き詰められたマインドコントロール的な社会システムの中をクルクルと空回りしてきたのです。
 
地球というカゴの中に閉じ込められて、社会システムというクルクルと周る輪の中を一生懸命に「頑張らなけりゃ」と走り続けるハツカネズミが私たちだったのです。
 
これは例えというにはあまりにもそのままに当てはまってしまっているほどに、私たちはその様な存在であったのです。
 
私たちは社会システムとマインドコントロールにより、その空回りする輪から降りて動く事が出来るという事が理解できなくなってしまっていたのです。私たちの考えも頑張りも、社会システムやマインドコントロール、つまり与えられた「常識」と呼ばれるものを前提としていたのです。
 
従って、常識をこえて真理に向かって動く事が出来なかったのです。それをするものは、ことごとく社会からはじき出され消されてきました。
 
そうした常識をこえていくには、マインドの力だけでは難しいんですね。マインドは与えられた社会の中での生存を1つの大きな役割として持っています。そのマインドだけでは、頑張れば頑張るほどに与えられた社会システムに適応する方向へと向かってしまいます。
 
では、どうしたら空回りする輪から降り、カゴの中から飛び出すことが出来るのでしょうか。実は私たちは誰もがそのためのナビゲーターを内に秘めているのです。それがハートです。
 
ハートは社会システムやマインドコントロールなど気にしません。マインドコントロールは、文字通りマインドのコントロールであって、ハートというのはコントロールされないんですね。ただ、消えてしまったかのように押さえ込まれ隠されてしまうことはあっても。
 
私たちは、自分の内面で、このハートとマインドの対話を進めていかなければなりません。それによって、「ナビゲーターであるハートの声」と「コントロールされているマインドの声」とを区別する必要があるのです。
 
これまでの社会に生きてきた私たちの場合は、無意識に受け入れている声は、マインドの声である事が一般的です。
 
例えば募金箱を見かけた時に、パッと募金を出来る人はハートの声に対する感度が良いと言えるでしょう。それがハートの声です。そうした気持ちは誰にでもわきあがってくるものです。しかし、それに対して「でも」という理由をつけて結果として募金をしない人は、マインドがハートを押さえつけていると言えるでしょう。
 
募金する気などサラサラ起きないという人は、かなりハートが覆い隠されてしまっています。
 
募金されたお金の使い道という問題からのこだわりでという人もいるでしょうが、そういう場合は募金に限らずとも色々な場面に切り替えて考えて見ればよいと思います。
 
人はマインドに支配されればされるほど、ある意味では社会に適応しいわゆる成功をすることが出来る事もあります。しかし、その場合は「不安や恐怖」を同時に抱え込む事になります。
 
不安や恐怖というのは、マインドの持つ性質なのです。
 
こう書いてしまうとマインドが悪者のように感じられてしまいますが、マインドにもキチンと役割があるのです。
 
ハートというのは私たちがその内に持つ方位磁針のようなものです。それは、私たちが進む方向を常に指し示します。崖があろうが谷があろうがお構いなしです。
 
そうした障害をいかに乗り越えるかという点に関して、私たちにはマインドが必要なのです。
 
自分の中でハートとマインドがこうした役割分担を機能させ始めると、きっと人生にこれまでとは違った流れが生まれるのです。
 
主はハートであり、従がマインドなんですね。それは上下関係ではなく、一体的な役割の違いなのです。この役割がさかさまになっていたのが、これまでの私たちが生きてきた社会なのです。
 
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