アセンションの時代

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パラレルな世界を渡り歩く

さて、今のところ頂いているテーマでは最後になりますが、前回とは別の内緒さんからのパラレルワールドに関するテーマなのですが、ハッキリとこうだと言いにくいテーマかも知れませんが、「パラレルワールドの世界観に上手く馴染めない場合のアドバイス」というような感じで良かったでしょうか。取りあえずそんな感じで受け取って、書いてみたいと思います。
 
このブログで、よくパラレルワールドの重要性について取り上げておきながらこう言ってしまっては混乱させてしまうかも知れませんが、あまり気にしなくて良いと思います。
 
今、理解して馴染めないからと言って、無理に信じ込もうとする必要も無いし、それを問題に感じる必要も無いと思います。
 
私たちは「目的」を持って存在しています。まず大切なのは、人生と言う経験の中で「調和」について学び理解を深めていく事です。それが魂の進化だと思います。
 
この目的を達成していくに当たって、パラレルワールドの理解が無ければ難しいというものでもありません。
 
パラレルワールドの仕組みを理解する事は、私たちの存在している目的ではなくて、「より効率的に調和を学んでいくための1つの「手段」」なんですね。
 
私は自分の個性にあった解釈として、世界を渡る上でとても効率性を上げる鍵になると思いその重要性を書いたことはありますが、急いでプレッシャーに感じなくても、自分のペースを守って楽しんで進めばよいと思いますし、そこから進む事が唯一の道でもないので、他に自分に合った道があるのならそちらから進んでも良いと思います。
 
パラレルワールドが解らなければ目的を果たせない訳ではなく、波動の高い人は誰でもその仕組みを理解しているというものでもないと思います。
 
つまりは、パラレルワールドを理解するという事に囚われる必要はないと思うのです。それを自分のペースで理解していく事は、本来はワクワクする事であって、楽しいことなんですね。
 
自分のペースを無視した時に人はストレスを感じ、それが出来なければ不完全だと思ったときに不安を感じます。
 
何も信じられないというのは、信じることを色々と探している時の状態ですよね。ああだろうか?こうだろうか?と色々な可能性を探求して、楽しむ時間へと自分を導いていく事が大切かも知れませんね。
 
例えば、理解できない事が不完全で良くないことであるという認識を持たなければ、本来それは楽しめるべき状況だと思うのです。
 
大切なのは、日常の中で調和を求め追求していく事で、その過程で少しずつ見えてくる真理の世界にワクワクし楽しんでいくのが良いのではないかと思います。
 
人間であるという事は、それだけで真理の世界を理解する事に対してかなりの制限を受けているんですね。
 
宝物が埋まっている時に、少しずつ掘り進んで、徐々に全体が見えてくるのって最高に楽しみじゃないですか?私たちの人生と言うのは、真理の宝物をそうやって少しずつ掘り進んでいく事だと思うのです。
 
まだこれだけしか掘り進めないと悩みながら進むより、どうなっているんだろう?中には何が入っているんだろうとワクワクしながら掘り進む方が楽しいですよね。
 
内緒さんが言われるとおり、人は自らの信じることを現実化していきます。
 
雨が降ったとき、「出かけられない!」と苛立つのも、「ゆっくり休める」とくつろぐのもその人次第なんですね。そうやって自分が何者であるかを選択しながら、人は自分の波動に合ったパラレルリアリティーを渡り歩いていくのです。
 
「理解できないスッキリしない、信じられなくて不安だ。」というのも、「あれは解ったけれど、ここが解らない。どんな可能性があるんだろう。真理はどうなっているんだろう。早く理解できるといいなぁ。楽しみだなぁ。」というのも、自分を表現するための状況は同じなんですね。
 
ただ、その同じ状況を受けても、自分はこういう存在であるという選択がまるで異なるのです。結局はそれが、自らのパラレルリアリティーを選択している事そのものなんだと思います。
 
この世界を理解するには、ちょっとしたコツがあるようです。
 
「自分が信じた通りの自分が現実化される」のです。
 
神社などへお参りに行ってやってはいけない事は、「願い事」をする事なんですね。
 
例えば「お金が儲かりますように」と願ったとします。パラレルワールドという可能性の海から、その人の波動は、そうだと信じた自分をパラレルリアリティーに現実化します。
 
つまり、「私は儲かっていません、不十分です」という事なのです。より多次元的な真理に時間は存在しないんですね。だから、その人の願いは「自分を宣言」した事になるのです。あるのは、今ここだけなのです。
 
そうして、その人は信じたとおりに「儲からずに不十分」な自分を体験します。
 
これは、地球の総合意識が私たちに教えている事なんですね。
 
神社等では、「感謝」する事が正解のようです。「満ち足りている自分を宣言」すれば、ますますその様な自分を経験していく事になるのです。
 
ちょっとしたコツなんですけれどね。真理の仕組みを知っていくと、その辺の理屈に対する理解が深まっていくんですね。
 
「理解を楽しんで進む自分」を信じれば、そうしたパラレルな世界を現実化することになりますし、「理解できなくて悩む自分」を信じれば、やはりよりそれを強化するような形で世界に現実化されます。
 
問題は、現実化された現象なのではなくて、自分の心のさじ加減1つなんですね。
 
不思議な世界ですよね。オモシロイですね。(笑)
 
取り留めの無い記事になってしまいましたが、1つの意見として利用して見てもらえたら幸いです。
 
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