アセンションの時代

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「いま・ここ」とは意識のある場所

いやぁ、テーマが尽きてしまったと思いましたが、あつぅさんがテーマを提供してくれました。「今」という時間をどう解釈すれば良いのかということです。
 
あつぅさんがコメントで、既に核心となる部分をつかれていますね。
 
私たちがゲームや映画、読書などをしている時、「物理的・客観的」に見れば私たちは「座って見ている」状態にあります。
 
しかしその時、それを「精神的・主観的」に捉えれば、そのストーリーの世界に入り込んで擬似世界に夢中になっている訳です。
 
こうした時に、私たちがスピリチュアル的にいう「今」というのを、どの様に解釈したら良いのでしょうか?
 
これまでの直線的な時間では、時計が刻々と時を刻み、時間は基本的に一定であると捉えられてきました。そうした、時間を基準として、今から1時間何をしようと決めるように、物理的基準で捉える要素が強かったと思います。
 
つまり、私たちは自分たちがつくり出した直線時間に支配されて、それを前提として生きてきました。だからと言ってストーリーの中で夢中になっている「今」を否定するわけではないのですが、主従で言うなら、物理的な時間が主であったということです。
 
しかし、このアセンションの時代に、直線的な時間と言うのは無くなっていくと言われています。それがどういうことかと言うと、おそらく「物理的・客観的」な時間は必要なくなり、「精神的・主観的」な時間(変化)が基準になっていくという事だと思います。
 
つまり、ストーリーに夢中になって入り込んでいるその時間の方が基準になるということです。それをより正確に言えば、「意識」のある(集中している)場所こそが「いま・ここ」だという事です。
 
ただし忘れてはならないのは、私たちは物理的な経験をするためにこの次元世界を選択して生まれてきているという事です。映画や読書の世界に入る事も良いと思いますし私も好きですが、最終的にはこの物理世界を体験するためにこの次元にやってきているということを忘れない事だと思います。
 
この日常世界こそが、ホログラム的に壮大なストーリーを持った世界であり、そのストーリーに集中していく事が大切です。
 
話をもとに戻しますと、これまで時間いうものは「直線的に時を刻む時計」が支配してきました。
 
しかし、これからは「意識のある場所」を常に「いま・ここ」として感じるようになってくるのだと思います。
 
それに従って、社会の仕組みも無理なくそうあれるように変化してくる事でしょう。
 
そうした現れの大きなものは、フリーエネルギーの普及であり、経済・金融制度の変化だと思います。
 
ただ、それらの前提となるものとして、各自のスピリチュアル的な向上が必須となる事は言うまでもありません。
 
スピリチュアルとは「意識」の持つ性質であり、「意識」が成長する、正確に言えば本来の光(神)としての自分を思い出す(覚醒していく)ことが大切です。
 
これまで私たちは物理的な世界を主として、その物理的な変化を刻む時計を時間として扱ってきました。
 
しかし、これからは「意識」のある場所を常に「いま・ここ」として感じ、その「いま・ここ」の中で意識が変化していく事を感じながら生きていく事になると思います。
 
こんな感じで良かったでしょうか。1つの意見として参考にしていただき、自分の考えをより深めていっていただけたらと思います。また何かあったら気楽にコメントください。
 
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