アセンションの時代

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「いま・ここ」について

シュワさんがコメントでツボを付いてくれましたので、それを受けて「いま・ここ」について、自分の考えを整理して見たいと思います。
 
今までもらったテーマや、自分から出してきたテーマも全てそうなのですが、それはテーマをくれた人や、私個人のテーマでは無いのだと思っています。
 
それは、私たち全てが抱えているテーマであり、それを誰かが手を挙げて代表で提示してくれたという事なのです。
 
それが自分に関係ないと思えば、そもそも記事を読んだりはしませんよね。自分の中にもある同じテーマを大なり小なり刺激されるから、軽くでも呼んでみようと思うのです。
 
テーマと言うのは、その受け止め方、解釈の仕方で多くの人に受け入れられるテーマとなることが出来るのだと思います。
 
そういう意味では、テーマは何でもいいんですね。でも、何でもいいと個性が興味を持つ偏りによってテーマが無くなったように感じてきてしまうんですね。
 
そういう意味で、外からホイッと思いつかなかったテーマをもらえると、新鮮な気持ちで記事をかけるんですね。
 
だから、何かいいテーマがあった時には、誰でもホイッとコメントに投げ込んでもらえたら大歓迎です。
 
さて、それでは今回のテーマに戻ります。「いま・ここ」についてです。
 
多次元の存在たちは言います。「いま・ここ」しかないのだと。
私たちは思います。「過去も未来もあるし、そこもあそこもあるではないか」と。
 
私たちはまず理解しなければなりません。時間や場所に対して、高次元の存在たちと私たちには2つの異なる概念があるのだという事を。
 
つまり、高次元から伝えられる「いま・ここ」と、私たちの考える「いま・ここ」というのは、概念的に異なるという前提を受け入れなければなりません。
 
必ずしも正確ではないかも知れませんが、便宜上そう説明して見ますが、高次元から伝えられる「いま・ここ」というのは、光(神)の存在している時間と場所を示しています。
 
つまり、永遠であり全てであるところです。存在の内側という事も出来るでしょう。
 
過去も未来も、そこもあそこも、全てが存在しているというか、存在の全てがあるところを「いま・ここ」と言っているのだと思います。
 
それは、光であり、一なるものであり、大いなる全てであり、神であり、存在であるものの内を現しているのです。
 
そうした、「いま・ここ」の内側で、私たちは3次元直線バージョンの時間と場所という概念を生み出して経験しているのです。
 
それは、物理・閉鎖的な世界であり、柔軟性にかける硬直した時空間です。
 
その次元世界の概念が示す「いま・ここ」というものが示すのは、とても狭小な点でしかありません。
 
私たちが物理・閉鎖的なこれまでの次元に留まっている限りは、その閉鎖的次元内の概念でいればそれはそれなりに問題はないのですが、その閉鎖性を突き破り多次元的な存在として異なる時空間の存在を知り交流を始めると、それでは適応できないのです。
 
私たちが宇宙文明等と交流を始めようと思ったら、時空間に対する概念も、多次元基準のものに切り替えていく必要があると思うのです。
 
それが「いま・ここ」の概念です。
 
例えば、宇宙空間を旅行するようになってくると、基本的にそれは、1つの空間の中を物理的に移動していくというものではないようです。
 
行きたい「時間と空間の波動」を読み取り、その波動に自分達の波動をシンクロさせることで瞬間移動するようなのです。
 
「いま・ここ」の中には、全ての時代と場所を網羅する超高密度の波動(多次元的な意味での光)が存在しており、私たちはその波動にシンクロしてその世界を経験するのです。
 
テレビが色々と飛び交う電波の中から、その周波数によってそれにシンクロした世界を画面に映し出すのと同じで、私たちも自分の内面に、波動的にシンクロした世界を映し出しているのです。
 
おそらくこれからは、私たちには色々な多次元的な能力が出てくる事だと思います。
 
それは、チャネリングであったり透視であったり、予知であったりエネルギー感覚であったりすると思います。
 
そうした感覚を通して、ただ理屈でしかなかったそうした世界観が、各自の個性としての能力にあった形で実感されてくることになると思います。
 
それは、これまでの知識・常識の上に築き上げるものではなくて、根本的に常識を覆すパラダイムシフトなんですね。
 
そういう意味で、私たちは「いま・ここ」を考える時にも、古いパラダイムによる概念と新しいパラダイムによる概念とを使い分けていく必要があるのだと思います。
 
ただ、強調しておきたいと思いますが、これは私と言う個性が捉え出した新しい世界に対する自分なりの概念を紹介しているものであり、必ずしもこれが真理とは限りません。
 
そもそも、突き詰めた真理など、人間としては理解できるものではないでしょうし、さらにその核にまで行けば、逆に意外と単純なものなのかも知れません。
 
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