アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

中の視点・外の視点

私たちの世界を捉える視点として、大きく分けると2つの視点が存在しています。

1つは、ストーリーの中からの視点、そしてもう1つは、ストーリーの外からの視点です。

私たちがこれまで持ってきた視点と言うのは、ストーリーの中からの視点です。それは、隔離された人間社会の流れに染まりきった世界観の中でのストーリーです。

そして、ストーリーの外からの視点と言うのは、この多次元世界の仕組みや意味を捉える視点です。そもそも、様々なストーリーの世界は、なぜ、どの様な仕組みで成り立っているのかを捉えようとする視点です。

私たちが、今新しく接し始めている始点として、地球上あるいは多次元空間での光と闇とが織り成してきた歴史などは、これまでより遥かに拡大した始点ではありますが、ストーリーの中からの視点です。

私たちがアセンションを理解し進んでいくにあたって、そこには、各個人オリジナルの道とペースがあるので、まずはそれを知る事が大切だと思います。

その上で、全体的に見ていて感じる事を少し書いて見ます。

これは、ただ単に気になったということで、否定肯定するものではありません。

私たちは隔離された地球社会のストーリーの中を長らく生きてきましたが、実はこの世界は多次元的な存在達とも複雑に絡み合った壮大なストーリーのほんの一部だったのだという事がわかって来ました。

しかし、その視点が、まだ多次元世界の仕組み存在の意味にまで拡大していないために、どうしても「二極性や時間」と言うこれまでの隔離された3次元バージョンの世界観を持ってストーリーを捉えてしまう傾向を持っているような気がします。

二極性や時間と言う概念が無くなるという事は知っていながらも、私たちのものの見方と言うのは、あまりにもそうした概念に深く馴染んでしまっているために、拡大したストーリーであっても今でも自然に二極性や時間と言う概念によって解釈してしまうんですね。

つまり、「光と闇(二極性)の戦いの歴史(時間)」として捉えてしまう傾向があるように感じます。もちろん、それはそれとして間違いと言う訳ではないのですが、多次元の存在たちは、まずそうした拡大ストーリーとともに、そのストーリーの外からの視点をあわせて説明しています。

しかし、私たちにとって拡大ストーリーは自分なりに解釈しやすく、外からの視点は理解がしにくいために、そうした傾向が生まれるのだと思います。

多次元存在たちが伝えている事は、「光と闇が存在し」「それらは表裏一体である」という事なんですね。

しかし、私たちにはこの2つの要素の前半しか受け取らない傾向があります。

ストーリーの中からの視点しか持たない限りは、「それらは表裏一体」ということの意味は理解できないのだと思います。それを理解するためには、ストーリーの外からの舞台裏を理解しなくてはならないのです。

例えば、アセンションするかしないかは、「ストーリーの中の視点で見れば成功か失敗かということになります」。

しかし、「ストーリーの外からの視点では、どちらでも良いというか、どちらにも共に価値と言うか意味があるのです」。

そうした2つの視点を持つ事が、自分の道とペースの中でいつか必要になってくるだろうし、人によってはすでに理解しているだろうと思います。

チャネリング情報の真偽を判断する1つの要素として、闇との戦いを「前面に押し出しているもの」は、闇からの情報である傾向があります。

個人的には、最近はそうした情報はあまり見かけなくなりましたし、それだけで判断が付くものでもないので、最終的にはトータルでの判断が必要ですが。

光の世界へ進むためには、「光に意識を集中」して進む事が大切なのです。しかし、二極性を持って理解しようとすると、「闇に戦って勝つ」ことをしようとしてしまいます。

しかし、そうして「光に対する闇に意識を集中すると、闇はどこまでも深くなる」んですね。そういう事を理解するためには、ストーリーの外の視点を持つ必要があるのです。

進む道は人の数だけ存在し、何に早く出会い何に遅く出会うかは人それぞれですので、もちろん競争ではありませんが、私がたまたま早めに(といっても、年齢的にはいいおじさんですが(笑))であった学びを、この世界の材料としてこの記事に落としておきます。