アセンションの時代

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異常な世界

私は平日には長男と二人暮らしをしており、土日になると近所の実家で生活しているのですが、実家へ行くとあまりの異常さに心が落ち着かなくなる状況に取り囲まれる事があります。

それは、実家が特別に異常と言うのではなく、そこに映し出される私たちの社会の異常さが心配になるのです。

朝、食卓の上に置かれている新聞の一面トップには、連日で異常な殺人事件についての大きな見出しがバンッと出ています。

朝の目覚めと同時に目にするのが、凄惨な殺人事件という異常なニュースなのです。

それからラジオで音楽を聞く事もあるのですが、番組と番組の間で流されるのがやはり同じ殺人事件についてのニュースなのです。

食後に親がテレビをつければ、やはり殺人事件についての様々な検証が延々と垂れ流されてくるのです。

そうした情報に取り巻かれての、変質的殺人事件マニアのような環境にあることが、私たちの社会では「知的な生活」であると思われているような節があるのです。

社会的な出来事を把握し、常に新しい情報をマスコミから取り込み時代の先端を歩く・・・的な感じで。

その実態は、単なる殺人マニア的生活でしかないんですけれど、これが頭で理解できても簡単には抜け出せない生活習慣になってしまっている人は多いのではないでしょうか。

マインドの持つ性質の強い現われとして、「現状維持」という性質があるんですね。

言われて見れば、頭では確かに馬鹿げた情報環境だなぁと思いながらも、それを自分から理解し、なおかつそれを改善する方向性というものを見つけ出していかないと、結局は現状維持で、殺人マニア的な生活情報環境が続いていってしまうんですね。

改善する方向性と言うのは、マスコミから提供される拾い出したらきりの無いそうした異常情報をシャットアウトし、心地の良い音楽を聞くようにするだとか、趣味を楽しむ習慣を取り入れるという事なのですが、いつも言うように「真似」でそれをやっても続かないんですね。

それはそれで、それぞれの人が「今・ここ」で何を学んでいるかという問題であって、他人を見て批判したり悲観的になったりする必要は無い訳で、大切なのは自分がどうあるかと言う事に最終的には集中していかなければならない訳ですが。

振り返って思うのは、何か凄く異常な世界を生きてきたんだなぁという思いが湧き上がってきます。まだ、そんな世界の中にいたりするんですけれどね。(笑)

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