アセンションの時代

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「批判」という落とし穴

私たちが今の時代を生きていくうえで陥りやすい罠として、「批判」というものがあります。

今の時代は、隠されていたあらゆる情報や出来事が噴出し、人々の目にさらされる時代です。

これまでであれば、情報源と言うのは大手数社によって独占されてきたテレビと新聞が圧倒的な割合を占めており、私たちはそこで取り上げられない情報については、いかに大きな情報であってもまるで何事も無いかのように通り過ぎて行きました。

つまり、そこで選別された情報の中だけを生きてきたのです。与えられる情報によってコントロールされてきたとも言えるでしょう。

しかし、インターネットの普及によって、そうした情報コントロール支配体制が崩壊し、これまで隠されていた情報が堰を切ったように溢れ出したんですね。

今ではこれまでに知る事の出来なかった多くの情報が、「知る気のある人」には簡単に知る事が出来ます。しかし、相変わらずテレビや新聞に依存し、そこで得た(与えられた)情報のみが正しいと思っている場合には、そこからはみ出た真実の情報は妄想的な陰謀論や、単なるオカルトとしてテレビや新聞がそうするようにはじき出してしまうんですね。

これまでであれば、殆どの人が騙されコントロールされてきたのですが、今ではそうばかりではない様々な人が入り乱れています。

そうした時に、真実に気付き始めた人々が陥る罠があるんですね。それが「批判」です。

批判する事によって、相手を何とか真実に目覚めさせようと批判合戦を始めてしまうのです。しかし、批判をしてもしなくても結果ははじめから決まっており、気付く人は批判されなくても気付くし、気付かない人は批判されても気付かないということです。

全てはその人の理解にとって最善のタイミングで進んでいるのです。それを、外から批判して強引に加速させようとしても、それは無理だと言うものです。

私たちが集中すべき事は、自分を変えていくことであって、人を変えることではないんですね。

人を変えることも大切なのですが、主は自分を変えることであり従として人が変わってくるんですね。

活き活きと楽しく調和的に生きている自分である時、始めて人々は自分たちもそうありたいと本質的な内面から影響を受けるのです。口先でいくら理屈を押し付け、口先で「わかった。」と言わせても、そんな事にはあまり本質的な意味は無いのです。

例えば、私はこうして皆さんに呼びかけるようなブログを書いていますが、強引に読むようにとは誰にも勧めていません。読みたい人が読んで参考にしてもらえたら良いと思っています。

それから、知識を自分に定着させるためには、読んだり聞いたりしてインプットするよりも、書いたり話したりしてアウトプットする方が遥かに効率がいいんですね。

つまり得た知識を、他人との比較において優位に立つために自分の内面にギュッと握り締めていると、その知識はいずれ使われること無く忘れ去られてしまう傾向にあるということなのです。

人々と共有し、皆で進んで行こうと積極的に情報を提供する時、その情報を一番定着させる事が出来るのは、提供した本人なんですね。

なぜかと言えば、それが真理に則している行為だからです。

真理においては、自分と他人の区別はありません。そこで、自分と他人を区別し、自分が優位に立とうとする事は、不自然であり真理ではない幻想にはまり込んでしまっているという事なんですね。

「批判」についても、同じ視点から考える事が出来ます。自分も選考する人たちの訴えを無視して自分のペースで進んできたのです。そうでなければ、とっくの昔に覚醒していたはずなのです。

しかし、自分のペースで進んできたからこそ、今スピリチュアルなメッセージが理解できるようになってきているのです。

だから、人々に対しても、その人のペースを認めた上げなければならないのです。

なぜなら、私たちは永遠の存在であるからです。タイムリミットはあるようで無いのです。だから、今ここにある自分の経験を大切に体験する事に意味があるのです。

それを先回りして、人からとやかく押し付けられるというのは、邪魔でしかないのです。ただ、情報を提供したり、サポートする事は大切な事だとは思います。

自分のペースで学んでこそ、真の経験となるんですね。

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