アセンションの時代

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「今・ここ」

私たちは、今ここに無い何かを探し出そうとしています。しかし、実はその事が求める何かを見つけ出すための障害となっているのです。

私たちはそれを見つけ出そうとする時に、時間や場所の異なるところにその答えがあるのだと思いがちです。

しかし、多くの情報で語られているように、時間や場所(空間)というの自体がそもそもが幻想なのです。

つまり、私たちは存在しない「いつかどこか」に答えがあるのだと思い込み、「今ここ」には答えが無いと思う傾向を持っているのです。

しかし、実際にあるのは「今ここ」という唯一の場所だけなのです。

よく考えてもみて下さい。「今ここ」以外の時間や空間に存在した事のある人がいまだかつていたと思いますか?

例えタイムとラベルをしようとも、自分の存在している時空間はつねに「今ここ」なのです。

私たちは全てが存在する「今ここ」にあって、ある波動周波数に意識の焦点をあてる事によって、その世界を経験しているのです。

しかし、だからと言って「今ここ」に、経験している世界しか無いというわけではないのです。「今ここ」には意識の焦点を合わせていない全ての世界も同時に存在しているのです。

つまり、それをアセンションについて例えるのなら、「今ここ」にはアセンションは無いけれど、「いつかどこか」に待っているであろうそのイベントが訪れるのを待っていてはアセンションは訪れないと言うことです。

なぜなら、「いつかどこか」などというものは存在しないからです。

アセンションがあるのは「今ここ」なんですね。ただ、私たち各自の周波数がまだ充分にそこに意識の焦点を合わせられていないために、それを経験できていないという事なのです。

従って、自由意志によってただ待つという姿勢でいれば、ブループリントに沿って流れ行く出来事を、ただ同じ周波数での経験を繰り返す事になり、アセンションと言う周波数に焦点を合わせることが出来ずに、「それみろ、やっぱりそんなイベントはなかったじゃないか!」と言ってやり過ごしてしまう事になるのです。

ただ、繰り返し言うようにそれも1つの選択、1つの学びなんですね。私たちは永遠の存在なのです。時間など存在しないのです。

従って、アセンションしたい人はアセンションへと焦点を合わせれば(調和的にあれば)よいというだけですし、3次元世界の常識に捕らわれて多次元的な世界を否定したければ、それはそれで良いのです。

自分で決め、自分で経験する事がとても大切なんですね。もちろん、その過程では求めさえすれば様々なサポートが用意されているのです。

そして、私たちはそもそもが光の存在であるために、「心地よい経験」というのは、常に高次元に繋がる調和的な経験となります。

自分たちの焦点がそこに合っていないというだけで、あらゆる世界がまさに今自分たちが存在している「今ここ」に実際にあるんですね。

例えば、周波数的にかなり近くなってきている世界に、宇宙人たちと繋がる宇宙社会の周波数や、透視・テレパシーなどの新感覚の世界に私たちの周波数は近づいているのです。

しかし、その周波数エリアにいつ到達できるかと言うのは、各自、自分次第なのです。

だから、予言など存在しないんですね。つまり、いわゆる未来は決まってはいないということです。ただ、周波数変化の具合から予測は出来るようですね。

そうした予測も個別の予測としてはブレ幅が大きいのですが、集合的なイベントの予測は相対的にブレ幅が小さく予測しやすいようです。

今年2015年からは、これまでエネルギー世界中心であったアセンションへの変化が、現象世界に本格的に及び始めます。

物質的な現象に囚われて見れば、アセンションは今から本格化するとも思えますが、現象世界と言うのは時間差で現れるエネルギー世界の影です。

本体のエネルギー世界では、既にアセンションは最重要期間を抜けつつあるのだと思います。

だからと言って不安になっては波動を下げるだけですし、心配してもポジティブな意味は何も無いんですね。

大切なのは繰り返し書いてきたように、「今ここ」で調和的にあることなんですね。

調和的に「あろう」としてはだめなんですね。それは調和的ではありませんという宣言になってしまうのです。調和的でないから「あろう」とするのであって、調和的にある人は、調和的にあろうとはしません。

ただ単純に調和的に「あればよい」のです。

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