アセンションの時代

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「意図」したらそこに留まらない

お久しぶりのあつぅさんからテーマを頂きましたので、「ある」ことと「意図する」ことの違いについて書いてみたいと思います。

基本的に記事を書くときにはいつもそうなのですが、はじめから頭の中に答えがあって、それを文字に起こして書くのではなくて、何となくそれに対して思ったことを行き当たりばったりで書いているので、必ずしもキチンとした答えが出てくるか、テーマに沿って進んでいくかわかりませんが、その辺はご愛嬌でお願いします。

これまで私たちは、例えば自分がなりたい状態をイメージし、それに向かって努力をしてその状態に近づくという過程に馴染んで来ました。

では、その時に効率的になりたい状態の自分へと変わっていく人と、いつまでたってもなかなか変わることの出来ない人との違いについて考えてみましょう。

自分を変化(進歩)させるのが早い人は、積極的になりたい状態であることを選択していきます。切っ掛けを掴んでは、「そうある自分を次々に実践し現象化していく」のです。

その一方で、なかなか変わることの出来ない人というのは、いつまでたっても「そうなろうとする自分」であることに一生懸命なのです。「そうなろうとする自分」とは、つまり「そうなれていない自分」と言う事です。

例えば、スピリチュアルな存在になりたいと思ったときに、変化の早い人は次々にスピリチュアルな自分を選択し現実化させていきます。

変化の遅い人は、いつまでも「なりたい」「ありたい」と願い、そう願い続ける事に努力を傾けるのです。しかし、そうした思いはスピリチュアルな存在ではない人が思うことであって、その思いを強める事によってスピリチュアルな存在になることを逆に難しくしてしまっているんですね。

つまり、スピリチュアルな自分を現実化させるのではなく、スピリチュアルではない自分を現実化し続けているのです。

ここで、あつぅさんの疑問に戻って見たいと思いますが、意図する事自体には問題はないという事なのです。(ただ、その意図はハートの声をマインドが現実に則して表したものでなければ無理が生じますが。)

問題は、意図したらそれをすぐに選択し現実化させていくことが望ましいと言うことで、いつまでも「意図している自分(意図を現実化していない自分)」に固執しないと言うことです。

いつまでたっても頑張ろうと努力をしているという事は、いつまでたっても選択によって現実化をしていないという事なのです。

ただ、これまでの世界はとても物質的な世界であり、意図を実際に選択によって現実化させるにはとても時間のかかる(過程を要する)世界でしたので、それはそれで環境的に仕方の無い側面もあったとは思います。

しかし、エネルギー的な世界と言うのは、意図したことは即座に現実化される世界なのです。長々とした過程を要する必要がないんですね。そして、私たちは徐々にではありますが、すでにそうした世界に向かって動き始めているのです。

従って、意図したらすぐにそれを、与えられた環境の中からの選択により現実化させていくことが大切なのです。いつまでも、意図した状態にとどまり、現実化させていかないのでは人生は面白くならないという事です。

「でも」「だけど」「そうは言っても」って、良く使われる言葉ですよね。

では、どういう時にこの言葉は使われるのでしょうか?それは、「意図を現実化させない時の言い訳」をするのに使われる言葉ですよね。

そうした言い訳はもう必要がないという事です。

今はまだ、社会を動かしている旧システムが延命状態ながらも機能しているために、多くの場面でそういう言い訳をしたくなるかも知れませんが、旧システムの崩壊がはじまれば、そうした言い訳を言わせているのは、自分の中の古い固定観念だけになるのです。

その時に調和的に意図した自分を次々に現実化させていけば、変化も早く、既に発射した各自の多次元列車の乗換えも可能であると言う訳です。

意図したら、次のステップとしてそれを現実化させるように心がけ、いつまでも意図する事に夢中になって留まらないように気をつけましょう。

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