アセンションの時代

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「エゴ」というピース

エゴと言うと、スピリチュアル的には悪者的に捉えられがちですが、全てのものにはそれが持つ役割と言うものがあり、全体の中でその役割のピースにキチンと治めれば、それは無くてはならない1つのピースであるのです。

物質の世界では、エゴと言うのはとかく前面に出しゃばりがちであり、全体のピースの配置を混乱させる原因になりがちです。

そのためにエゴというと、悪い事のように捉えられる傾向にあるのですが、それでもエゴと言うものもやはり無くてはならない1つのピースなのです。

エゴが強い場合、人は周囲へ対しての自己顕示欲が強くなり、人々をコントロールしようとする傾向が出てきます。

そのために、エゴを無くそうと努力するのですが、今後はエゴがあまり小さくなりすぎてしまっても、やはりうまくいかずに支障が出てくるのです。

エゴが小さくなりすぎると、人は自己へ集中するべきところを、他人へ関与しすぎそのエネルギーに必要以上に関わりすぎてしまうようです。

他人の問題を自分の問題であるかのように抱え込んでしまったり、場合によっては相手の事を思うがゆえに相手を自分の思うようにコントロールしようとします。

エゴが強過ぎれば、自分のために相手をコントロールしようとし、エゴが弱すぎれば相手のために相手をコントロールしようとするのです。

しかし、エゴが程よい大きさに留まれば、相手ではなく自分をコントロールする事に意識は集中し、相手に対してはあくまでもアドバイザーやサポーターとしてに留まり、相手をコントロールしようとする事はありません。

エゴが強すぎる人の問題点は、人々がよく認識しているところだとは思いますが、エゴが弱すぎる人の問題点は、意外と人々に見落とされがちです。

善悪の二極性で世界を捉え、エゴはダメとするのではなく、そこに込められている役割を認識し、全体としてバランスを取るように活かしていく事が大切なように感じられますね。

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