アセンションの時代

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「落ち込む」ということ

「落ち込む」ことが無くなったら、人生はどんなに楽しくなるだろうと思うのですが、それでも私たちは飽きることなくいつまでも「落ち込む」事を続けています。

スピリチュアル的な人々は、落ち込む事に対して「肩の力を抜いて気楽に」対応する事を勧めてくれるものですが、落ち込んでいる本人としては、「それは判っているけど、それが出来れば苦労はしていない」という感じですよね。

しかし、そうしたアドバイスする人たちの中には、実際にそれが出来てしまって、落ち込む事をかなりクリアしている人々と言うのが実際にいるんですね。そうした人々と私たちの違いと言うのは、いったい何なんでしょうか。

「いかなる問題も、それをつくりだした時と同じ意識によって解決することは出来ない」とは、アルバートアインシュタインの言葉です。

つまり、「落ち込む」という事は、3次元思考の生み出す幻想であり、3次元思考でそれに取り組む限り、根本的な解決を迎えることは出来ません。

しかし、それでも私たちは3次元思考の中で何とか解決しようと取り組み、3次元的な解決を経験し、そしてまた根本的に同じ問題を違う設定で経験するという事を繰り返すのです。

「落ち込む」という事の根本的原因は、3次元思考にあります。そもそも、「落ち込む」という幻想的経験を生み出しているのが3次元思考なのですから。

そこで、3次元思考はその問題を解決するために、あの人に問題がある、場所に問題がある、お金に問題がある、持っている物に問題がある・・・、と必死に改善点を「外」に求め外科的処置で解決しようと取り組みます。

しかし、そもそもそうした問題は「内」から湧き上がってくるものであり、「外」から対処して一時的に解決しても、やがてまた根本的なところで同じ問題が「内」から湧き上がってくるのです。

その「内」から湧き上がってくる原因が、3次元思考なのです。

つまり、自分は完璧ではなく、世界から切り離されたチッポケな存在であり、外からやってくるもの(お金・地位・人間関係等)によって幸せになれる・・・、という考え方です。

そうした、3次元思考という幻想的思考から、5次元以上の多次元思考へと移行することが出来れば「落ち込む」という経験は徐々に無くなっていくと思います。

では、その5次元思考とは、3次元思考と何が違うのでしょうか。私たちに「気楽に」とアドバイスするスピリチュアル的な人たちと言うのは、どのような思考によってそのようにアドバイスしているのでしょうか。

私たちはそれを3次元的な思考によってそうアドバイスしているのだと思い込み、それを3次元的に理解しようとするのですが、そうした人々は根本的に視点の異なる多次元思考からそうアドバイスしているのであり、それを受け取る私たちも多次元思考で解釈しなければ意味がないのです。

言って見れば、3次元思考とは肉体の思考であり、多次元思考とは(仮に)魂の思考です。

肉体は有限であり、物質や外的な要素を極端に重視します。しかし、魂は無限であり、内的な経験を重視します。

私たちが落ち込むのは、自分が有限(限界がある)でありその限界を不十分であると感じたときです。それによって生存条件に対する不安を感じるのです。

しかし、魂は自分が無限(永遠)である事を知っており、落ちれば次はそのうちに上がるという事を知っています。肉体と言う経験を、その外側からそれは一時的な経験であり本当の自分の全てではないということを理解しています。それが多次元意識です。

それが、私たちとスピリチュアル的な人たちとの思考の違いです。

さらに言えば、こうした1つの視点だけによって「落ち込む」人とそうでない人との違いが生まれてくる訳ではありません。

1つ(一部)は全てであり、全ては1つ(一部)であるのです。

そうした1つの考え方を本当に自分のものにするためには、全ての考え方が多次元思考に変わる必要があるのです。3次元思考からそれを捉え、何となく解ったような気分になっても、それはやがて消え去り、また同じ問題、アドバイス、解ったような気分を繰り返すばかりです。

根本的に解決するためには、自らの思考の全てを多次元思考へと切り替えていかなければならないのです。

「そんなに面倒くさいのか。」「時間がかかるなぁ。」「もっと手軽な対処法は無いのか?」等々々・・・。きっと、3次元思考はそう言います。それが、3次元思考というものなのですから。

しかし、多次元思考ならきっとこう言う事でしょう。

「それを実現するために私たちはこの世界に存在しているんだよ。」

「本当の私たちは永遠の存在。それこそ、時間は無限にあるのです。」

「しかし、今・ここにある経験は、今・ここにしかない経験。」

「私たちが今・ここ以外に存在することはなく、それを疎かにしては、それ相応の経験しか出来ませんよ。」と。

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