アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

「重なり合った世界」がはがれ出す

ここの所、息を吹き返して毎日記事の更新をして来ましたが、書く事無くなりました。(笑)

エネルギー感覚も変わり続けているのですが、うまく言葉で表現するのが難しいのと、あまりそんな事ばかり書くのも嘘くさく感じたり、馴染みにくいだろうなぁと思って控え気味です。

経済や金融、災害などの出来事も、それはエネルギー世界の影として現れることであり、エネルギー世界と切り離して、ただ社会的な現象を批評したり予測したりしても何かあまりねぇ・・・と思えてきて、これも控え気味です。

ちなみに、EUギリシャ支援は予想通り見送られましたが、ギリシャ国内の資金がかき集められてIMFへの返済が期日どおりに行われたため、デフォルト危機はまた1ヶ月先延ばしになったようです。

中国の経済失速はかなり急激なものとして、いよいよ隠しきれずに表面化し始めています。

大きな地震や火山噴火も世界中で続発してますね。

渇水などの異常気象も尋常ではない自体が続発しています。

ただ、それらは波動的にエネルギー世界が映し出されているという事であり、予測をするのであれば、エネルギー世界とその影としての現象世界をセットで予測するのがいいのでしょうね。

ひふみ神示の中にもあるように、旧システムの崩壊は人々の覚醒の遅れを、待って待って限界まで待っている状態にあります。

それはガイアと人々が共に肉体を保ったままアセンションするためであり、人々の覚醒を待っているんですね。

その一方で、肝心の私たち人類はというと、「アセンション?バカじゃねぇの?」「大丈夫?変な宗教に走っちゃった?」という大半の人々と、「アセンションはいつ起こるの?」「早く楽になりたい」とただ待つ一部の人々。そして、覚醒しようとしているごく一部の変人(笑)たち。

これは、良いとか悪いという問題ではなくて、各自の選択の現状がそうであるという単なる状況把握・確認です。

各自は、自分の選択とその結果を経験する自由意志と言う権利を持っているのです。

例えば、あの人たちのせいで、私たちが足を引っ張られるとか被害をこうむるという事はありえないのです。

もう少し言い方を変えてみると、そうした被害的経験は、3次元と言う幻想世界においてのみ成り立ったように経験できる錯覚であり、3次元世界で自分は被害者と言う経験をしたとしても、多次元的には自分の選択した波動的経験なのです。

例えば、「まだ、アセンションが起こらない」と多くの人が待っている訳ですが、それは、誰かのせいではないんですね。「待っている」自分のせいなのです。

何度も書いてきているのでしつこいようですが、アセンションは外から近づいてくるものではないのです。中から湧き上がってきて、外へと映し出されるものなんですね。

従って、「待っている」限りは永遠にアセンションは訪れないでしょう。それは集合的な話しではなくて、完全に個人個人の個別の話としてです。

「今・ここ」には様々な次元の地球が可能性と言うエネルギーですでに存在しているのです。

あなたが「経験している」世界は、あなたの選択した世界です。しかし、あなたが「見ている」他の人たちの世界の中には、あなたが選択した世界とは異なる世界も今のところはまだあります。

こう考えて見てください。

様々な次元の世界ごとに透明のフィルムに日常が描かれているのです。あるフィルムには3次元的争いの日常、あるフィルムには低4次元の覚醒し始めて調和を意識し出している日常。また、あるフィルムには高4次元の覚醒してあらゆるものと調和している日常。そして、別のフィルムには5次元以上の悟りを開いた、穏やかな日常。

今、私たちが経験している世界と言うのは、これらそれぞれの次元の日常が描かれた透明なフィルムが、1つに重ねられている世界です。

従って、私たちはどの次元のフィルム上の日常にいようと、異なる他の次元の日常も「見ることが出来る」のです。ただ、重なり合って1つのように見えても、フィルム(波動)は明らかに異なっているために自分と異なるフィルムは「経験することは出来ません」。

例えば、大きな震災等の発生により募金活動が行われているとします。私たちはどのフィルム(波動)にいようとそれを見ることが出来ます。

しかし、少なくとも低4次元以上のフィルム(波動)にいなければ、そこで募金をして共に支えあうという経験をすることは出来ないんですね。

また、同じような意味から、5次元以上のフィルム(波動)にいる人たちは、人々の争いやけなしあいをそこらに見ることは出来ますが、自分がその争いに参加して経験することはもう無いのです。

2012年までは私たちの世界は、主に3次元という1枚のフィルムからなっており、誰もが争いを見ることになり、そこに巻き込まれる可能性がありました。

しかし、2012年冬至以降、3次元1枚だったフィルムが、大雑把に言えば3次元、4次元、5次元のフィルムに分かれたのです。しかし、重なり合って引っ付いて存在して来ました。

ところが、今年2015年から、これらのフィルムが剥がれ出しており、自分の存在しているフィルムの日常以外の日常が、徐々に周囲から消えていく事になります。

そして、あと10年くらいの時間をかけて、これらのフィルムは完全に切り離され、それ以降はもうお互いの異なったフィルム(波動)を見ることも経験する事も出来なくなります。

それらのフィルムは、平行現実として完全に違う世界として分離するのです。

私たちはそれを物理的に地球が分裂する等と感じることはありません。私たちの実感としては、自分の周囲から、自分と異なる波動の人が徐々に消えていき(自分と似た波動の人が集まってきて)、いつのまにか同じような考えを持つ人たちだけの社会に変化してきていたという感じです。

分裂は物理的に起こるのではなく、もっと本質的に物理的ホログラムの根源であるエネルギー的な要素によって起こるのです。

こうしたフィルム(波動)の分離は、2015年~2017年にかけて急激に加速します。

そして、フィルムが剥がれる衝撃が、現象世界に様々な形で現れることになります。日常が描かれたマジックの部分が、隣のフィルムとくっ付きあっちゃていて、剥がれる時に衝撃と痛みが伴うんですね。

べったりと強く描かれている部分ほど、その衝撃が大きくなります。例えば「お金」が描かれている部分とか、「環境破壊」や「競争社会」といった3次元のシートに強く描かれている部分は、他のシートにベッタリ引っ付いちゃってますから、それが剥がれる時にはかなりの衝撃が出てくるんですね。

でも、高次元のシートはその衝撃が収まれば、もうそうした経験をすることも見ることもなくなり、やがて高次元に相応しい現実が、高次元の波動を選択した人々によってつくられていきます。

一方で、3次元のシートに残った人々は、そうしたものを全て抱え込んでそこに残ったわけであり、さらに高次元的要素を持った人々を(本人たちにしてみれば)争いに勝って追い出した気分でいる訳です。それも、魂として選択した学びのために経験であり、それをとやかく言うものでもありませんが。

何か、話しがそれましたね。というか、出だしが逆にそれてたというか。まあ、今日の記事はこんなところです。(笑)

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