アセンションの時代

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パラレル世界を「現実化(選択)」する

3次元思考で世界を捉えている限り、私たちは3次元世界から抜け出すことは出来ません。

3次元思考と言うのは、私たちが生きてきた(3次元)世界での常識であり、疑うことなくそして考えることなく「当たり前」として信じてきたことです。

そうした当たり前を手放すには、いわゆる変人にならなければならないんですね。誰もが信じて疑わない当たり前のことを、自ら手放していく訳ですから、変人として見られることは当たり前なのです。

ただ、だからと言ってどこまでそれを表に出すのかは、その人それぞれのさじ加減で良いのだと思います。自分が多次元思考を知ったからと言って、それを人との接触の仲で前面に大々的に打ち出さなければならない訳ではないのです。

そんなことをしても、完全に染みこんでいる思考が簡単に切り替わる訳ではないので、自分の中でさえ新旧の思考が入り乱れて、そこへ周囲との摩擦が追い討ちをかけ、最後は疲れ果てて「騙された、信じるんじゃなかった」などという事になってしまってはもともこもありません。

ただ、だからと言って臆病になって、想像遊びに留めて現実としての一歩をいつまでも踏み出さなくても意味がありませんから、どの道を選択するかは個性に合わせてなされれば良いのかも知れませんが、後悔して引き戻す前に、何が自分を後悔させたのか原因をよく考える必要はあるかも知れませんね。

さて、前置きはここら辺にして、今日はパラレルワールドについて書いてみようと思います。これこそ、3次元思考から多次元思考への切り替えが難しい部分かも知れません。

ただ、正確にはギャップが大きいというだけであり、それを割り切って信じるだけの下地が出来ていれば、逆に簡単と言えなくもないかも知れません。

3次元思考では、世界(地球や人など)というそれぞれ唯一の物体が存在しており、それらが物理的に動く事によって日常と言うストーリーが展開していくと考えられていました。

しかし、多次元思考においては、それは間違った幻想の世界観であるという事になります。

多次元思考では、私たちは「あらゆる可能性としての波動(パラレル世界)」の中に存在している意識体です。そこでは、私たちがその波動に意識を集中して「現実化」しなければ、物質的地球も肉体も存在しないのです。ただ、意識を集中して現実化しなくても、あらゆる可能性は既に今・ここに波動として存在しているのです。

今、私たちの目の前には、日常的世界が広がっています。これは、あらゆる可能性を持った(体験として現実化されていない)波動の中から、自らの波動がシンクロして選び出された現実体験なのです。

私たちは、この人生ゲームにログインする前に、ブループリントと言われる人生のシナリオを設定してきています。例えば、地球と言う環境、時代、国等々。易ではこれを宿命と言い、誕生後に変更の難しい運命のことです。

その一方で、そうした前提に基づいた日常の中では、常に様々な選択肢が存在しています。進学、就職、結婚から、食事で何を食べるか、どの道で目的地へ向かうか等々。そうした、変更可能な運命を易では立命と言います。

3次元の現実では、3次元のルールが機能しているために、私たちは立命をコントロールして人生を展開していく際に、「物理的に努力する」ことで生きて来ました。少なくともそうであると信じて来ました。

しかし、多次元的視点からは、実はそうしたルールによって展開していた訳ではないのです。それは、これまでの3次元世界においても同じです。

実際には私たちは、自らの波動によってパラレルなエネルギー的可能性世界の1つとシンクロして現実化することにより日常を体験し続けているのです。今も。

それに気付くと、私たちは「物理的に努力する」という3次元的生き方から、「波動的に選択する」という5次元的生き方へと変わっていきます。

そうした、5次元的生き方について少し書いてみます。

まず、人はそれぞれ「信念」を持っています。その信念に基づいて「思考」します。思考が「認識」として確認され「感覚」を生み出し、現実として「経験」されます。

順序としてはこうだと思うのですが、もう少し解りやすく書いてみます。

様々な出来事が起こります。そうした出来事は、単なる物理的な現象であって、そこにはネガティブな要素もポジティブな要素も、もともとは含まれていないのです。

例えば「お皿が割れた」とします。

「あー、くそぅ!」
起こる必要の無い事が起こってしまった。自分は運が悪い。それによって、自分は不機嫌にさせられる。

自分(世界)は不完全であるという「信念」が、起こってほしくない事が起こったと「思考」し、これは私を不機嫌にすると「認識」し、強い不快な「感覚」を生み出し、ネガティブな「経験」をすることになります。

「あー、ついに割れちゃったか。今度はどんなのがいいかなぁ。」
新しいお気に入りを手に入れられる。良い切っ掛けだな。これでやりたい事が出来た、今度はどんなお皿にしようかなぁ。

自分(世界)は完全な存在であるという「信念」が、良い切っ掛けが訪れたと「思考」し、気分転換が出来ると「認識」し、ワクワクする「感覚」を生み出し、ポジティブな「経験」をする。

物理的に同じ事が起こっても、それをどう捉えるかによって、経験がまったく異なったものになってくるのです。

これが、多次元宇宙に対する「宣言」になります。自分はこういう(波動的)存在であると。

すると、多次元宇宙は必ずそれを肯定してくれるのです。「その通り。確かにあなたはそうした存在である。」と。そして、それに相応しい波動(エネルギー)に対応したパラレル世界が現実化されることになるのです。

この時点に置いてはもはや解釈の問題ではなく、現実化される世界そのものが異なる事になるのです。

そうした積み重ねによって、第三次世界大戦により滅亡するパラレル世界を現実化させ経験する人もいるでしょうし、そうではない、アセンションへと向かっていく世界を現実化させ経験する人たちもいるのです。

それは、解釈や同じ世界で異なった経験をするというものではなく、まったく異なった別々の世界を経験するという事なのです。

私たちは、核実験が盛んに行われ始め、第二次世界大戦があったその時間軸を宿命として選択し生まれて来ました。なぜなら、地球次元のほとんどの時間軸の平行現実が、核戦争による人類滅亡へと向かっていく中で、この時間軸には人類が生きてアセンションをするというパラレル世界が含まれていたからです。

しかし、そうして選択された時間軸の中でも、やはり核戦争で滅亡するというパラレル世界も自分自身の波動次第で現実化することが出来るのです。

それを避ける、あるいは望む未来を引き寄せる時に、個人の物理的な働きかけによってそれを実現させることは出来ないからと考えるのは3次元思考なのです。

そして、自らの波動により、望んだ未来を引き寄せる事がこれから私たちが吸収していく多次元思考的な現実なのです。

自分が多次元的に完全な存在であるという信念を持ち、それに基づく思考で世界を認識し行動する事による経験を重ねていくと、確実に多次元宇宙はそれに相応しいパラレル世界を用意してくれているのです。

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