「エネルギー体」の構成
最近チャネリング情報を読んでいると、四大元素(エレメント)やエネルギー体についての記事に関心が向くようになってきています。これまでは、読んでも実感として理解できなかったために読み流していたものが、何となく感覚として感じられるようになってきたために、その知識が気になりだしたのだと思います。
エネルギー自体はこれまでも感じてはいたのですが、それがアストラル体だとかメンタル体だとか言われても、その区別がつき感じられる程ではなかったんですね。
ただ、最近こうした記事を読んだ中で、これまで私は頭部で感じる圧力的なエネルギーと、ハートで感じる拡散的なエネルギーがあると書いてきたのですが、それはメンタル体とアストラル体なのではないかと思えて来ました。
私たちはこれまで肉体のみを自分とみなして来ましたが、私たち「個人」は低振動のエネルギー体として「肉体」「メンタル体(思考体)」「アストラル体(感情体)」の3つの身体をまとっているようです。
そして、「肉体」はその情報から人生の青写真や記憶まで含めたもう1つの肉体としての「エーテル体」と深い繋がりを持っているようです。
つまり、この4つのエネルギー体(肉体を含む)が私たち「個人・個性」を成しているようなのです。
肉体というものも、多次元的解釈ではエネルギー体である訳で、この世界へのアンカー(イカリ)として機能しています。そして、私が頭部で感じると書いているエネルギーがメンタル体で、胸部で感じるエネルギーがアストラル体ではないかと思えてきたのです。
そして、始めにそれを感じたのは、熱田神宮へ行ったときの事なのですが、お参りをしてその場を離れた時に、自分のエネルギー体の感覚の中に、お参りをしているエネルギー感覚がそのまま残存していたのです。
いわゆる現実としての3次元ホログラムとしては、私はその場を離れたのですが、エネルギー的経験の中では、その場を離れる自分と、その場で参拝している自分とが同時存在していたのです。
そうした経験が最近になって意図せず2~3回あったのですが、意識的にその様に過去を引き出すことが出来ることに気付いたのです。
過去を思い出すときに、これまでのように記憶でだけサラッと思い出すのではなく、感覚的にリアルに思い出す事が出来るというような感じです。そうした感覚が起こっているのがエーテル体においてではないかと思ってみたり・・・。
あと、これも関係しているのですが、最近は朝に目覚めた時に「起きた」という感覚に乏しいのです。寝ていても起きていても、エネルギー感覚に包まれている状態で、以前のように寝ているときは(そうは意識していませんでしたが)エネルギー感覚の中にあって、起きた時はそのエネルギー感覚から抜け出すといった感覚の違いが無いのです。
ただ、こうした感覚や知識は、まだヨチヨチ歩きを始めた段階であり、しばらく色々な形で模索し感覚を深めて行きたいところです。
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