「命・存在・経験」とは何なのか?
私たちはこうして存在している訳ですが、命があり意識として存在しているからこそ経験が生まれます。
逆に言えば、経験が無ければ意識や命は充分ではなく、あるいは存在すらしていないと考える事も出来るのかも知れません。
私たちにとって、このように「経験・体験」という事は「存在意義」そのものでもあるのかも知れません。
しかし、そこまで重要な経験・体験が、どの様に生じているかについて私たちはあまり深く考える事がありません。
例えば、私たちが重視してきた物理的現象、度々書いてきたように、それは単なる現象であって経験という事は出来ません。
空から雨が降ってきた。
それだけでは経験とは言えないんですね。それを受けて、喜んだり怒れたりと感情が沸き起こる時に、それを経験と言うのです。
ではもう少し踏み込んで、何がそうした喜怒哀楽と言う感情の引き金となっているのかと考えると、それは「無条件の愛」と「怖れ」のバランスによって引き起こされているようですね。
つまり、良い経験をしようと思ったら、常に「無条件の愛」の視点から全てを経験する事なのです。
しかし、これまでは低次元ゆえのあらゆる制限により、そのエネルギー環境内での生き残りが重視され、そうした「無条件の愛」以上に「怖れ」(思考に基ずく生存本能)が重視されて来ました。
あるいは、思考を重視してきたがゆえに、低次元のエネルギー環境を招き続けてきたとも言えますが。
しかし、状況は変わり、現在では劇的なスピードでエネルギー環境が高次元へとシフトを始めています。
つまり、私たち自身もいつまでも思考に主導権を与えたままの低次元仕様の生き方を続けている状況ではないという事です。
今はもう、「無条件の愛」に主導権を委ねてよい頃合なんですね。
それが、より良い喜怒哀楽を生み出す経験を引き寄せるのです。
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