アセンションの時代

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無数に存在する「自分」

私たちは、この3次元的な肉体を1つの単位とする自我を「自分」として捉えてきました。

しかし、多次元的な視点からは、それはより大きな自分の単に1つの経験だということです。

例えば多次元的でより大きな意識をもつ自分というものが存在しているのです。その自分は、この地球上においてでさえ複数の存在として経験しており、また、それぞれは無限の平行現実にも存在しています。

さらにそうした経験は地球上においてのみならず、様々な次元においても行われているのです。

そうした多次元的でより大きな意識を持った自己を「オーバーソウル」と言うようです。オーバーソウルは、様々な次元、様々な環境に意識をおいて経験を積み重ねています。

オーバーソウルを手とすると、私たちはその指先であり、私たちを個人的に導く「ハイアーセルフ」と呼ばれる存在たちは、その指先より根源に近い関節部分にあたります。

指先と関節、手が同時存在しているように、私たちとハイアーセルフ、オーバーソウルは同じ自己(オーバーソウル)でありながら、同時に存在し意識的交流をすることも出来るのです。

私たちは指先であるけれど、それを指先だけの独立した存在で、何ともつながっていないと思い込んでいるのが3次元意識の特徴です。

手が動けば関節が動き指先が動きます。しかし、3次元的思考の指先は、それは肉体的自分の意思あるいは「偶然」によって起きたことだと解釈します。

しかし、実際にはこの世界に偶然などということは無いんですね。

こうした関連性は犬のしっぽにも例えられます。犬(オーバーソウル)が喜ぶと、シッポの付け根(ハイアーセルフ)が振られ、それに従ってシッポの先っぽ(私たち)が左右に振られます。

そう考えると、私たちは「自分(シッポの先っぽ)」の意思など関係なく自分たちが存在している意義とは何なんだ?と思い悩んでしまうかも知れません。それが、3次元的思考なのです。

その思考は、シッポの先っぽを犬から切り離して考えていますが、それはとんでもない話で、シッポの先っぽは犬の一部として「犬そのもの」なのです。

自分がそうした大きな存在の一部としての理解と受け入れが進むと、シッポはその内側から他の様々な経験(部分)と繋がり交流することが出来るのです。

私たちはハイアーセルフと繋がっており、そのままオーバーソウルとも繋がっているのです。

しかし、それは正確な表現ではありません。

正確に言うのであれば、私たちはオーバーソウルそのものであり、意識を極端に制限してこの世界に集中することで肉体としての仮想自己を経験しているのです。

そして、オーバーソウルでさえ「一なるもの」の一部であることを知れば、私たちは「一なるもの」そのものの経験の一部であることが理解できます。

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