アセンションの時代

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「私」とは何なのか?

「私」とは、いったい何なのでしょうか?

「私の手」「私の足」「私の頭」・・・、「私の身体」「私の魂」・・・。

私の、私の、私の・・・。では、その私っていったい何なの?

こうしたことを考えるとき、もっとも原点にさかのぼって考えるのが1つの方法だと思います。

あらゆる世界を含めた全ての原点は、「一なるもの」に始まっています。それは、「存在」です。
そして、その「一なるもの」が「意識」を持ったとき、それは「大いなる全て」となったのです。
全てはそこから始まっています。

つまり、私たちの本質とは、第1に「存在」であり、第2に「意識」であると思います。

「存在してそれを意識している」。それが、「私」の最も本質的な正体であるのです。

存在し意識を持った大いなる全ては、それを「経験」したくなったのです。空気はただそこにあっても実感することは出来ません。呼吸により吸い込み、風として頬を撫ぜられる事によってはじめてそれを「経験」し実感することが出来るのです。

こうして、世界は始まったのです。

私たち3次元思考にとっては、形のないものとしてそれを認識することが苦手で、形のある肉体や脳といったものに依存して考えたくなるのですが、それも自分の一部であることに違いはないのですが、物質に囚われているうちは自分の本質にはたどり着けないんですね。

前の記事のコメントで内緒さんが言われるように、物質と切り離してそれを伝えるというのは、興味を持っていない人には難しいかも知れませんね。しかし、子供には意外とすんなりと受け入れる子がいるかも知れません。というか、そこそこいるはず・・・と思うのですが、どうでしょうか?(笑)

また、もう少し具体的な形で、「地球の集合意識」はN・D・ウォルシュとの対話の中で、私たちにこう伝えています。

「あなたはその身体を使っているが、あなたは身体そのものではない」
「私はこの身体ではない」
「あなたはあなたの思考でもない」
「私はこの身体でもなく、思考でもない」
「あなたはあなたが考えるところの”魂”というものでもない」
「おっしゃることはわかります。だとすると、一体私は誰なのですか?」
「面白いことを言うね。それはこっちが知りたいことだよ」
「いえいえ、あなたがその答えを知っているはずですよね」
「いやいや、君の方が答えを知っているだろう」
「何を言っているんですか!わからないからこうして聞いているんです」

「いや、私の方こそ、君に聞きに来たんだよ。」「そもそも根本的な問題は、君と私は別々のものだと君は信じ込んでいることだよ」「君は自分のことを私(神)とは違う何者かであると決め込んでいるだろう。」「君は自分が私以外の何ものでもないとしっかり理解した時、はじめて、私が君の質問には答えることはできないということがわかるだろう。君が答えを知っているんだ」

この対話について、このブログの1つ前の記事と絡めて考えてみましょう。

正確に言えば少し違うかも知れませんが、位置関係としてこの対話は、3次元思考とオーバーソウルや大いなる全てとの対話だとも言えます。(オーバーソウル・大いなる全て・神等というのは、表現上の問題で、本質的にはどれも同じような意味です)

つまり、ここで伝えられている答えは、「あなた(人間)は私(神)である」という事です。

しかし、「あなた(人間)は自分を、私(神)ではない何者かであると決め込んでいます」。

あなたは神であるのに、自分は神ではないと決め込んでいる。そうであるのなら、あなたが何者であるかは、もはやあなた自身が決めるしかないのです。

あなたは、自分を何者であると決め、そうした存在として経験を重ね意識を拡大していきます。

そして、やがて次元を上昇し意識を拡大していくことにより、自分は神と一体であり神そのものであったのだと気づくのです。そしてきっと、苦笑いでもするのでしょう。(笑)

つまり、私とは何者であるかについて、2つの答えがあるのです。

「神」そして「自分の信じるもの」です。

私たちは実際には「神」であるのですが、私たちがそうだと信じている間は「自分の信じたもの」としての経験をすることが出来るのです。

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