それぞれの「役割」
私たちはこの世界を生きるにあたって、それぞれに役割と言うものを持って生まれてきています。
宿命と言うのは、例えばこの世界に生まれてからでは、もう変更の出来ない事、例えば生まれた土地や時代、あるいは親などは個人の力では変えることの出来ない運命です。
私たちはこのような宿命・立命という運命によって組み立てられたブループリントというものに沿って生きているようですね。それは、絶対的・確定的なものではなく、立命という自由意志の余地を踏まえたうえでの、人生の下書きのようなものです。
そうしたブループリントは、ただ自分勝手に考えられたものではなく、世界の中における役割を考えた上で組まれていると思います。
例えば、今の時代であれば、アセンションと言う一大イベントがあります。これは、地球人類とガイアが共に肉体を保ったまま次元上昇をしようというもので、それぞれに役割があるのですね。
例えば、闇の勢力と言われる人々がおり、この人たちが足を引っ張っているためにアセンションがうまく進まないと思っている人もいるかも知れません。
闇の勢力が、人類と言う輪ゴムをグッと闇の方向へ限界まで引っ張ったからこそ、人類が自らの意思で闇の勢力を手放した時、凄い勢いで私たちは光の方向へと飛んで行くのです。
堕天使ルシファーは、光を呼び込む天使なのです。
このように、全ての存在にはそれぞれの役割があるのです。
それは、大きな役割から小さな役割まで、様々な役割が様々な側面から社会と組み合わさっており、1つの大きなタペストリーをつくり上げているようなものなのです。
例えば、人が一人存在すれば、それだけでその人は様々な側面から社会へ影響を与えているのです。仮に何もしていなければ、何もしない存在として、関係する様々な人にそうした印象を与え、色々な事を感じさせ考えさせる影響を与えているのです。
かと言って、逆にネガティブな方向へ引っ張るものでもないと思っています。
あえて言うのであれば、このブログの役割と言うのは、高次元の情報と3次元の現実とのギャップを埋め合わせて繋げる役割をこなそうとしているのかなぁと、自分なりには思ったりしています。
従って、残念な事に(笑)、その役割は聖人君子には勤まらないんですね。3次元を生きてきた平凡な人が、高次元の情報を吸収して、3次元で苦しむ自分の現実にはめ込んでそれを伝えるところに意味があるんですね。
例えば、長く読んでくれている人は知っていると思いますが、上司等とまるで考えが合わずに仕事を辞めて、仕事も含めて2~3年は焦らずのんびりとした時間を取ろうと思いながらも、辞めたとたんに不安の大波にもまれたり、夫婦関係が上手くいかずに、苦しんで苦しんで苦しんでようやく離婚をしていたり。(笑)
そういう3次元的の荒波に溺れているような人が実践の中へ高次元からの情報を取り込んでこそ、「現実的」なものとしてそれを感じられると思うんですね。
チャネリング情報を読んでいて、高次元の存在達に対して地球人が抱く最大の不満は、「そうは言っても、地球上での現実はそんなに甘くない」というものだと思います。
私たちはそれを「理想」として受け入れながらも、その高い理想は「現実的ではない」として、実践する事には距離を保つ傾向にあるんですね。
そんな中で、世間体やお金への不安もかなぐり捨てて、高次元の情報を100%信頼して人生の舵をとっちゃってるバカってそうはいないでしょう。(笑)
でも、そんな会話を出来る相手が、そのうちに周囲にチラホラとは出てくるのだろうと期待してはいますが。
過去記事