アセンションの時代

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「無条件の愛」はどこにあるのか?

アセンションを語る上で、その核心をなしているものは「無条件の愛」です。それが全ての原動力であり、その忘却が波動を低下させていきます。

私たちは3次元に存在してきた者の特徴として、「物質」によってそれを確認し「実感」を得ようとします。

ただそこに「愛」があるだけでは、その世界ではリアリティに欠け、実感に乏しいのです。

愛があるのならそれをプレゼントで表現して欲しいと求めます。旅行などは連れて行ってくれることで表現して欲しいと願います。そこにサプライズが隠されていれば、その愛はなおリアルに実感する事が出来ます。

つまり、この時点でこの世界の愛は常に「無条件」から「条件付」へと向かう傾向を持っているのです。

そして、その条件をクリアするためには、この世界では「お金」が必要になるのです。

私たちは、多次元的無意識の源泉から「無条件の愛」を求める存在でありながら、分離した個という錯覚から芽生えたエゴによって「条件付の愛」を求め始め、それをかなえるために「お金」を求めて来ました。

私たちは多次元的盲目状態で生きてきたために、こうして「お金」が人生の目的であるかのようになってしまったのです。「いや、お金ばかりじゃないよ。」と言えても、では何のために生きているかとなると、あまり明確な命の存在意義を持っていない(忘れてしまっている)んですね。

ここで、少し話を戻して見ようと思いますが、なぜ「無条件の愛」は私たちにとって実感が乏しくリアリティに欠けるのでしょうか。

それは、3次元と言う波動世界を私たちが受け入れているからなんですね。

「無条件の愛」がリアリティに欠けるということは決してないんですね。それどころか、多次元宇宙に置いては、「無条件の愛」こそが唯一のリアリティなのです。

問題は私たちが3次元という色眼鏡を通して「無条件の愛」を見ているからなのですね。

3次元と言う色眼鏡は、物質的なものにこそリアリティを浮き上がらせ、内面的な本当の世界を覆い隠してしまいます。

しかし、「無条件の愛」とは内面のより深くに無限に広がっているものなのです。従って、私たちは外の外面的な世界にそれを求めている限りは、「条件付の愛」「お金」へと一方通行に辿っていってしまうのです。

私たちは内面世界に「無条件の愛」を探さなければそれを見つけ出すことは出来ないのです。

このように外面世界、内面世界と言っても単なる概念的な話で実感しにくいかも知れませんが、完全にそのとおりでは無くても、それをほぼ実感できるように1つの例をあげてみます。

今、あなたは目を開けた状態にあります。そこに広がり感じているのが外面世界です。

では、しばらく目を瞑って見てください。その時に感じる世界が内面世界です。

その時に感じられる愛が、無条件の愛なのです。

太陽の光は、全ての存在を分け隔てなく暖かく包み込みます。そよ風が全身を撫ぜ、花の香りが漂ってきます。私たちはそうした自然の恵みを、当たり前のこととして何も感じずにやり過ごしてしまいがちです。

しかし、それは「無条件の愛」なんですね。

目を瞑った状態では、同じように人との会話にも敏感になります。相手の微妙な心の動きが良く判ってきます。そこに込められている愛も偽りも良く見えてくるのです。

その時、本当の愛をお金の力で感じることが出来るでしょうか?

あなたが目を瞑った(仮に視力を失った)状態で、高級レストランへ連れて行ってもらったとします。あなたは相手の言葉のニュアンスに、あなたが視力を失っている事を隠そうとしているものを感じるかも知れません。

メニュー表を見ることも出来ず、フォークやナイフが置いてあるのもわかりません。

相手の苛立ちが伝わってくるかも知れません。

しかし、一旦目を開けてしまえば、私たちはそんな心の動きには興味を持たず、目の前の豪華な料理を相手がご馳走してくれる。私は愛されているんだという自己陶酔に浸りたがる傾向にあるのです。

一方、同じく視力を失ったという設定で知り合いの食堂に連れて行ってもらったとします。食堂の人は既に相手から事情を聞いており、当然のこととして色々な事に気を使ってくれます。

出てくる料理は普通のものばかりですが、みんなが自分のことを思いちょっとした事にもさり気なく気を使ってくれているのを感じ取ります。

しかし、目を開けてしまうと、3次元と言う世界に飲み込まれ、「あ~あ、がっかり」となってしまいがちなんですね。

それは、目に見えるものこそがリアルであり真実であると私たちが信じ込んでいることに原因があるんですね。つまり、私たちは自ら3次元の世界を受け入れ、分離・二極性・物質という世界観を受け入れているために起こることなのです。

しかし、このように「無条件の愛」というのは目に見えないものであり、私たちの内面に無限に広がっているものなのです。

このような外から内へと言う視点の変換を行わなければ、目を凝らして見れば見るほどに私たちは3次元世界に捉われていくのです。

アセンションがいつ起こるのか、どこから起こるのかを外の世界に目を凝らして探していると、ますますアセンションから遠ざかっていく事になってしまうのです。

なぜなら、アセンションは外の世界から始まることではなく、内の世界から始まりその次の段階として外へと染み出してくることなのですから。

チャネリング情報が私たちが求める時間や個別の社会の出来事の解説・予言等により関心を向かわせないのにはそうした理由もあるのですね。それをすることは、逆に人々を3次元に縛り付けてしまう事にもなるのです。

逆にネガティブな情報は、具体的な世界の動きをもっともらしく中継し伝えてきます。人々の進化を止める為には、それが効果的なんですね。人々はそれにより、自己の進化を放棄し、主要とされる人々の動きに自分の未来を委ねてしまいます。それが「依存」というものです。

しかし真実は、自分の未来において自分以上に主要な存在などありえないのです。

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